うたかたの如く消えた
在りし日の姿を求めて D
ハンス・ハンターの生き証人



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在りし日の範多農園母屋
玄関

伊藤徳造さん

晩年のハンス・ハンター

古山さんを訪ねて数日後、Kさんからいつになく興奮した声で 電話がか
かってきた。


「8月31日午後1時25分からNHK第1テレビの 『関東ネットワーク』 で、
在りし日の ハンス・ハンターについて放映があると、古山さんから連絡が
ありました!鉱山関係の事業をやっており、日光の中禅寺湖でマス釣り
場を始めた人だそうです。ハンター氏の元で長年働いていた伊藤徳造さ
んという老人が、あの植物防疫研究所の近くに住んでおり、 NHKの取
材班が来たそうですから確かな話ですよ。まったく、奇遇ですねェ!!

伊藤家は鈴木町2丁目772番地の住宅街の奥まった一角にあり、 仙
人の隠れ家か人里離れた別荘のように感じられたのは、 私の思い過ご
しだったろうか?

玄関先で迎えてくれた伊藤さんは、当時、78歳という高齢だったが、仙
人というよりも壮健で、なかなかの威丈夫だった。

「鈴木街道から小金井カントリー倶楽部との境界まで、この辺り鈴木町
2丁目772番地一帯はそっくり範多農園の敷地で、1万6000坪もあっ
たんですよ


伊藤さんは決して饒舌ではないが、封を切ったような語り口で、範多農
園は私が頭に描いていたより遥かに広大な規模だった!1万2000坪に
のぼる農場は本格的に土壌改良を施して、 戦前にレタスやセロリなど
の洋野菜を栽培したり、温室ではトマトの水耕栽培も試みていたという。

「約4000 坪が宅地で、現在の農薬検査所と日本植物防疫協会研究
所の辺りに範多農園の母屋と庭園があり、那須塩原の庄屋だった豪邸
を移築した母屋は、ハンス・ハンターが一切の事業を整理した資産と理
想を注ぎ込んだものですから、それは素晴らしいものでした 」 と、伊藤さ
んは往時を今のように語るのだった。

その母屋は昭和12〜13年頃完成直後に、東京市から迎賓館として使
いたいから、譲ってくれないかと申し出があったそうだ。





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