うたかたの如く消えた
在りし日の姿を求めて C
ハンター氏とは何者?


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範多農園母屋の長屋門
 範多農園跡地の独立法人農林水産消費安全技術センター(元農薬検査所)


古山さんはしばらくして、研究所用地が範多農園の跡地であったことを知る
機会があり、さらに徹夜で泊まり込むこともあった蔵が、かつて父親が  “越
前さんの蔵”と呼んでいた土蔵だと分かって驚いた。

古山さんの父親は庭師をしており、東京帝大を初め府内の公園や政財界
人の邸宅の庭を手がけ、赤坂のアメリカ大使館の隣にあった範多事務所に
も、よく出入りしていた。

古山さんが少年時代に父親から聞いた話によると、 ハンス・ハンターはイギ
リス人実業家の父親と日本人の母親の間に生まれ、 日本名は範多範三
郎と名乗っていた。彼の父親は関西で一二を争う大財閥だった。

ハンス・ハンター自身も鉱山関係の事業を手広く営んでおり、その本拠にし
ていたのが赤坂の範多事務所で、事務所2階のベランダに洋蘭や高山植
物の温室を設けていた。古山さんの父親は栽培の相談役を務めていた。

ハンター氏は麹町に本宅を、麻布周辺に別宅も構えており、 その別宅の
庭に“越前さんの蔵” があったそうだ。

元々は大岡越前守屋敷にあったといわれる土蔵を、ハンター氏が惚れ込ん
で別宅に移築して、さらに小平に農園を設けるのと前後して、麻布区宮村
町(現在の港区麻布十番) にあった別宅から蔵も移築されたとのこと。それ
以上詳しい話を聞く前に古山さんの父親は他界してしまった。

古山さん自身も残念がっており、範多農園についてもハンター氏についても
それ以上詳しいことは聞き出せなかった。

ハンター氏がどういう意図で小平に農園を設けたのか…。ここで情報の糸が
プッツリ切れてしまったように思われたが、 偶然にもハンター氏に所縁のある
人が現れた。

伊藤徳造さんで、奇遇にも範多農園の跡地である日本植物防疫研究所
のすぐ近くに住んでいるという!


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