ハンス・ハンターの足跡を追って

2004年9月11〜13日
日本で唯一の錫鉱山:見立鉱山跡地へ

2004年9月、相次いで上陸した台風の合間を縫うようにして宮崎県の北部、大分県との県境に近い日之影町見立地区にある英国館を訪ねました。大正年間にH・ハンターが近代設備を投入して業績を上げた錫鉱山の跡地です。

英国館は宮崎県第2の都市延岡から高千穂鉄道で約1時間、日之影温泉駅からさらに日之影川に沿った山道を約25`上った過疎地にありました。

この年は初夏から台風が連続して沖縄・九州・四国・中国地方を襲い、私たち女性二人が宮崎空港へ降り立った時も雲の動きが激しく、歓迎の大雨に打たれてしまいました。

日豊線延岡行きの急行列車は目まぐるしく移動する暗雲と追いかけっこしながら北上しました。

翌朝の高千穂鉄道も、日之影温泉駅から見立鉱山跡地への道中も気まぐれな雨雲に一喜一憂しながらの旅でした。



無人駅も目立った高千穂鉄道沿線でした
が、ピンク色の彼岸花が目を楽しませて
くれました。

高千穂鉄道の車窓からかろうじて見る
ことができた八戸観音滝。落差40b。

台風による土砂崩れで前日まで通行止
めだったという日之影川沿いの道から、
英国館が見えてきた時は胸がドキドキ。

見立鉱山のクラブハウスで外国人技師の
宿泊所も兼ねていた英国館の案内板。

丸太と板の木目に、風格が感じられる英
国館正面。レーモンド事務所の設計で、
平屋建て延べ床面積約320平方メートル。

英国館にたどり着いた瞬間、下から跳ね上
がってくるような土砂降りになったが、間も
なく太陽が射して彼岸花がひときわ赤く。

元見立鉱山クラブハウスと
英国館の由来を記した案
内板

クラブハウスは昭和44年見立鉱山閉山後放置されて
いたが、当時所有していたラサ工業から日之影町に寄
贈され、同町が町費を投じて修復。昭和61年11月に
英国館としてオープン。平成13年有形文化財に指定。




英国館のメーンホールには英国旗と日の丸
にはさまれてH・ハンターの写真が飾られ、
テーブルには彼の愛したスコッチのボトルが。




和と洋を巧みに取り入れた英国館
メーンホール。障子が室内に落ち着きを。

メーンホールの一角にはH・ハンターの希望で
英国スタイルの暖炉が備え付けられていた。

故国を離れて日向の山奥で寝泊りして働
く外国人技師たちのためのゲストルーム。



鉱山操業当時に使われていたヘルメット
や英国から取り寄せた工具、通信機器
なども展示されて。

クラブハウスの眼下に設けられていた鉱山事務所の跡地
には、現在、日之影町町営の『リフレッシュハウス出羽』
が設けられて宿泊できる。英国館メーンホールから撮影

クラブハウス当時使われてい
たバスタブ。英国製。

悪天候と悪路にもかかわらず英国館まで往復
してくれた日之影タクシーの甲斐頼光さんと記
念撮影。
英国館からの帰路に立ち寄った石垣の村。
戸数7戸の小さな集落で、一番古い石垣
は安政年間に築かれた記録があるが、誰
もこの集落の歴史を知らない。
謎を秘めた石垣の村集落に通じる石段。
ミステリーの世界に誘い込まれる雰囲気が。

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