在りし日の姿を求めて 42
H・ハンターとスコッチ その2


範多農園での交友仲間



赤星鉄馬


吉田茂


岸本吉左衛門


H・ハンター

           H・ハンターの 酒 友 録

赤坂の範多事務所や小平の範多農園を訪れた友人たちは、それぞれのお気に入りの酒をお茶代わりに飲みながら、雑談に興じたり、仕事上の打ち合わせの席でも酒は欠かせないものだった。

加賀正太郎、赤星鉄馬の両氏はH・ハンター独自のスコッチ“HHウィスキー”につき合わされ、吉田茂、岸本吉左衛門はポートやシェリー酒をよく飲んでいた。

ポートというのはポルトガル産のワインを発酵の途中で止めて甘く仕上げたワインの一種である。

ドイツのビールを輸入したこともあったが、当時は船便で赤道付近を通過してくるので味が落ちて失敗に終わった。 カナダ産のはまあまあ飲めたようで赤坂の事務所には貯蔵されていた。

H・ハンターは酒好きであったが、 側近の伊藤徳造さんによると大酒を飲んで乱れた姿を見せるような失態は一度もなかった。

しかし、朝から就寝時までアルコールの切れ間はなかった。 ウィークデーの朝は遅くとも10時前後には、 H・ハンターはパリッと身支度を整えて執務室に入った。

その日に決済する書類を机に置き、 担当者から報告事項を聞いた後でサインをする際には、「ちょっと待てよ」 と言って、HHウィスキーの水割りを1杯飲んでから出ないと、手が震えてサインができなかった。

50代半ばに入ってからはアルコール中毒の症状が顕著に…。

自邸で夕食をとるときには、和服に着替えて日本間で和食を楽しむことが多かった。和食には必ず日本酒で、灘の黒松白鷹を愛飲していた。

ちりめんじゃこや日光の湯波が好物で、産地から取り寄せていた。ちりめんじゃこは母親愛子さんのオフクロの味で、いかにも関西育ちらしい。

「ハンターさんは快活な反面、人一倍寂しがりやで、 ことに夕食を一人ですることのない人で、必ず誰かに声をかけていましたね」と、伊藤さん。

みどり夫人と離婚後、赤坂の事務所に住んでいた頃は、永田町や丸の内にも近く、『東京倶楽部』の仲間など食事相手にことかかなかったが、太平洋戦争が激しくなるにつれ、一人減り、二人減りして身辺が寂しくなっていった。

そうした状況の中で、小平の範多農園に移ってからも気軽に立ち寄ったのは加賀正太郎や赤星鉄馬、吉田茂、岸本吉左衛門らであった。
とくに赤星氏は吉祥寺の広大な屋敷に住まっており、 ひんぱんに訪れていた。

絵画骨董のコレクターだった赤星氏を通じて、範多農園母屋のアートも手に入れたものが多いらしい。H・ハンターが所有していたロールスロイスの一台は赤星氏から譲られたそうである。


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