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H・ハンターとスコッチ その1 | |
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H H ウ ィ ス キ ー H・ハンターを知る人たちからは 「ハンターさんから酒を取り上げた人生は 考えられない」と云われていたほど、酒好きで、とりわけウィスキーにはこだ わっていた。 範多農園母屋の地下倉庫には、 H・ハンターが愛飲していたスコッチの ほか、一流ブランドの ウィスキーやワイン、シェリー酒などの洋酒を貯蔵し ていた。 東京八重洲口の明治屋、 横浜の三浦屋あたりでも手に入らない銘柄 を揃えていたという。 親しい友人から“HHウィスキー”と呼ばれていたハンター独自のウィスキー は、スコットランドの有名無名の醸造元を彼自身が巡り歩いて、 日本で いうところの地酒フォーティフィケーションを元にしたものだった。 このフォーティフィケーションの樽詰め(200リットル入り)モルトを、スペインの 片田舎の醸造元から取り寄せた高級シェリー酒の空き樽に詰め替えて寝 かせ、微妙な味の変化をもたせた。 辛口であったが、口当たりのまろやかなウィスキーに仕上がったところで、ス コットランドの醸造元に詳しいデータを付けて指示し、現物を何度か船便 で往復させて試飲を繰り返した上で、ようやくH・ハンターの舌を満足させ る“HHウィスキー”が完成したそうだ。 H・ハンターの舌の感覚は鋭く、やかましかった。 まさに手塩にかけて熟成させたプライベート ・ウィスキーを醸造元で瓶詰め にさせ、10ダース、20ダースと何回にも分けて輸入して、範多農園母屋の 地下倉庫や赤坂の範多事務所、奥日光の別荘などに貯蔵していた。 その当時、壽屋の鳥居信二郎は京都郊外の山崎で、 今日のサントリー ウィスキーの醸造に取り組み、加賀正太郎はニッカウヰスキーの創始者 ・ 竹鶴政孝が『大日本果汁』 を創業するのを支援しており、北海道・余市 でウィスキーの製造を始めていた。 それぞれの創業時には、H・ハンターが利き酒をして、味やフレーバーの相 談に乗り、「君たちは商品としてのウィスキーを完成させなさい。僕は自分 の飲むウィスキーを造る」と云って、モルトの樽を日に何度も愛しそうに転が せていたという。 残念ながらHHウィスキーの写真は残ってないが、範多農園母屋が落成し たときに銀座の写真屋『双葉』に作らせたアルバムの一枚の写真に、屋根 裏に収納されシェリー酒の樽らしきものが見える。 |
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