在りし日の姿を求めて 40
H・ハンターと小金井カントリー倶楽部 その2


プレー中のへーゲン
矢作正治著『小金井カントリー
倶楽部』の挿絵より

小金井ゴルフ株式会社会員券

東京法務局旧土地台帳の写し
             幻 の 19 番 ホール

日本にもゴルフを普及させる使命感に燃えた深川喜一氏は、渡米してウォ
ルターへーゲンにコース設計を依頼する一方で、メンバーが平等に権利を有し、
責任を分かち合う組織をづくりを構想していた。

その結果、昭和 11年(1936)11月7日、 資本金25万円で小金井ゴルフ
会社を設立・登記した。自ら社長に就任して額面500円の株券を平等に1
株ずつ所有することを条件に、 『小金井カントリー倶楽部』の会員500名を
募集した。

コース建設に着工したのは昭和12年(1937)3月、 その4ヶ月後に北京郊
外で起きた盧溝橋事件に端を発して日中戦争は泥沼化してゆき、 その影
響で工事は危ぶまれたが、超スピードで工事を急がせた結果、同年10月3
日に完成した。

わずか6ヶ月で18ホールが完成したのは驚異的であった。しかし、時節柄、
入会者は少なく、資金繰りに相当苦難を極め、H・ハンターも創立メンバー
となり資金面でもかなりバックアップしたという。

翌13年4月29日にはコースを設計したウォルター・へーゲンが仲間のプロゴ
ルファーのジョー・カークウッドとともに小金井カントリーを訪れて 模範ゲーム
を行った。プロゴルファーのキングがプレーするとあって、その日は約300人の
ギャラリーが熱い視線で見守った。

プレーの前にへーゲンは完成したコースを一通り見て回って、「自然の起伏
がコースにうまく溶け込んでいる。 雑木が豊富で樹木に恵まれていることも
好条件の一つ。18ホールそれぞれ別の気分でプレーできるのは最高だ」と、
絶賛した。

H・ハンターと深川氏の結びつきは不確かだが、ハンター氏側近の伊藤徳
造さんによると、 ゴルフ場の用地買収と平行して範多農園敷地の買収を
新宿にあった郊外土地株式会社に進めさせている。

双方の用地買収が完了した時点で、境界線を真っ直ぐにするために互い
に土地売買をした記録が、東京法務局の旧土地台帳に残っている。

また、範多農園から直接小金井カントリーと行き来できるよう境界の一部
に枝折戸が設けられており、プレーを終えた吉田茂や赤星鉄馬(赤星財
閥)らは、そこから範多邸に立ち寄って、H・ハンターと一杯やって歓談する
のが常だった。

そうした賓客からは範多邸は小金井カントリーの“幻の19番ホール”と呼
ばれていた。

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