在りし日の姿を求めて 39
H・ハンターと小金井カントリー倶楽部 その1


名門中の名門小金井カントリー倶楽部
の旧クラブハウスと新クラブハウス
上の画像にマウスを当てると新クラブハウスが




ウォルター・へーゲンが設計したコース

        小金井カントリー倶楽部の創設

範多農園と地続きの小金井カントリー倶楽部は昭和11年(1936)1月に『へーゲ
ン・ゴルフクラブの輸入元であった銀座の深川商会の社主 ・深川喜一によって創
設された。

アメリカ・ワシントン大学で電気工学を学んだ後、 三井物産ニューヨーク支店の商
社マンを経て同商会を設立した深川氏は、 アメリカのようにゴルフを広く庶民の健
全なスポーツとして近代化し、民主化することを夢見ていたという。

当時の日本では欧米でゴルフを経験した人も増えていたが、ゴルフ場は貴族や華
族階級が占有しており、深川氏も少なからず不快な経験をしていた。

矢作正治著『小金井カントリー倶楽部・深川喜一伝』によると、関東大震災後、
中央線沿線が急速に発展したのに注目していたところ、小金井に適地があるとい
う話が深川氏に持ち込まれた。

現地を視察したところ、武蔵野の風情に富んで、 ほどよい起伏もあり、いいコース
ができそうだと気に入った。

地元小平・鈴木新田有力者の鳥塚勘兵衛と海岸寺住職の西山龍渓師に、ゴ
ルフ場建設を打診すると、二人は村の将来を考えてか協力を約束してくれた。

明治30年代以降の小平村は、養蚕を中心とした畑作の純農村地帯であったが、
昭和初期の世界大恐慌によるアメリカの不況で絹の輸出が減少する一途、 関
東大震災以後の近郊農村化してくる近隣の波に乗り遅れまいとする機運が高ま
っていたようだ。

しかし、用地の買収には70人もの地権者がおり、すんなりとはいかなかったが、鳥
塚氏や龍渓師らの説得で約15万坪がまとまって手に入ることとなった。『郷土こだ
いら:小平市教育委員会刊』によると、買収価格は畑地反当たり500円、山林
400円、荒地300円であったと記録されている。

用地買収の目途がつくと、商用で渡米した深川氏は当時、トッププレーヤーの地
位を保ち続けていたウォルター・へーゲンに敷地の見取り図を見せてコース設計を
依頼した。

日本にゴルフを普及させる深川氏の使命感に、フェアウェイのキング:へーゲンは
「この設計に大変意義を感じている」と、快諾してくれたそうだ。

へーゲンの残した有名な語録に、次のような言葉がある。
「ベストを尽くして打て、結果よければすべて良し。悪ければ、すべて忘れろ!」


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