うたかたの如く消えた
在りし日の姿を求めて J
ハンス・ハンターのカトレアを求めて大山崎山荘へ    
その@     2003年11月
註 上の随想は昭和30年頃に雑誌に掲載されたもので、ハンス・ハンターも
加賀正太郎も既に他界。冒頭に書かれているスコットランドの労働者住宅を
真似て建てた家は、現在アサヒビール大山崎山荘美術館として公開されてい
ます。なお千代子夫人は高津小町と謳われた美人でした。
なお、文中に書かれている英国サンダーについてはここからアクセスを。


加賀千代子夫人の随想で『ハンス・ハンター』でと命名された白い大輪のカトレアがある

と知って以来、大山崎山荘を訪ねることが念願となり、昨年(2003年)の晩秋にその思

いを果たしに出掛けました。

大阪駅または京都駅からJR京都線(在来線)で約30分

大山崎駅からなだらかな坂道を歩いて10分ほど。木津、

宇治、桂の三川が合流する天王山麓を切り拓いて、加

賀正太郎が週末を過ごす山荘づくりに取り掛かったのは

大正3〜4年。100年近くも前のことです。

英国遊学中にウィンザー城から眺めたテ‐ムズ河畔のラン

ドスケープに似たこの大山崎の地を選んだそうです。

建築当初とほぼ同じ状態の
『悠々居』と称された本館

山麓にさしかかると巨大な岩の洞穴を潜り抜けるようにして

進んだ先に、明るい色の西洋瓦をあしらった開放的な表門

があり、早々から心憎い演出。この年は全国的に紅葉はイ

マイチでしたが、 大山崎山荘の楓は常緑樹の間で一本一

本微妙な紅葉が楽しめました。

一木一石に至るまで加賀正太
郎の美意識が感じられる表門
大山崎山荘の建築当初の建物についてはアサヒビール・大

山崎山荘美術館のホームページや加賀千代子夫人の随

想でも語られているように、スコットランドの炭鉱労働者住

宅がモデルになっているのに対して、英国人の血を引くハン

ス・ハンターが後年昭和13年前後に小平に設けた範多邸

は那須塩原の庄屋を移築して純和風の造りでした。

しかし、柱や梁の1本1本にもこだわって美意識を追求して

いる点に関して、正太郎とハンス・ハンターには共通する部

分が多いと感じられました。

ハンス・ハンターもかつて大山崎山荘を訪れ、参考にした点

が多いのではないでしょうか。 右の2点は大山崎山荘と範

多邸の天井部分で、和洋の違いを超えて木組みの精巧さ

や美がたくみに生かされています。

大山崎山荘本館1階ホールの
吹き抜け


小平・範多邸座敷の照明と天井


(注) 

大山崎山荘が位置する天王山麓は、天正10(1582)羽柴秀吉と明智光秀の
山崎の戦いで知られる天王山の南麓で、木津川と宇治川、桂川が合流して淀
川となる地点です。

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