うたかたの如く消えた
在りし日の姿を求めて K
ハンス・ハンターのカトレアを求めて大山崎山荘へ    
そのA     2003年11月

加賀正太郎が自ら図面を引いて設計した大山崎山荘と

ハンス・ハンターが事業から手を引き、余生を送るために

資産を次ぎ込んだ小平の範多農園母屋を対比してみ

ると…


暖炉の煙突が目を引く大山崎山荘
本館正面


暖炉の煙突のデザインがユニークな
範多農園母屋西側



睡蓮の池と温室が望めるように増設され
た大山崎山荘のテラスつき広間。


広々とした芝生庭園に望み小金井カン
トリー倶楽部との境界に植えた生垣も
見渡せる範多農園母屋・恒花荘

英仏などの荘園風の大山崎山荘表門。
テラコッタ仕上げの白壁に煉瓦色のスペイ
ン瓦が使われている。


鈴木街道付近に設けられていた範多
農園入り口。移築当初の姿と思われ
まだ農園は整地されてない。



究極の道楽は普請道楽といわれますが、加賀正太郎とハンス・ハンターも蝶の採集

から始まって自然探索、釣りやゴルフ、蘭栽培など趣味の限りを尽くして行き着いた

のが普請道楽だったように見受けられます。それぞれの世界で得た知識や磨かれた

美意識の集大成が大山崎山荘と範多農園の普請に注ぎ込まれ、単なる道楽でな

く最高のものを求めています。ところでH・ハンターと名づけられたカトレアは、大山崎

山荘の蘭温室が非公開で今回は見ることはできませんでした。残された文献からす

ると下の写真のような姿ではなかったかと・・・想像を膨らませています。何時の日か

出会えることを願いながら、大山崎山荘2階バルコニーから男山を背景にした紅葉

の錦絵を堪能してきました。

大山崎山荘に設けられた温室では最盛期には1万鉢にも及び、次々に新品種を

交配して『蘭屋敷』と呼ばれ、洋蘭栽培のメッカに。加賀正太郎はその中でも特に

優れた品種104種を選び、88種を浮世絵に、残りは油絵と写真で後世に伝えよう

『欄花譜』の制作を企画。第2次世界大戦で暗礁に乗り上げながらも、敗戦直

後の昭和21年に刊行されました。


文献からイメージしたH・ハンター
のカトレア


大山崎山荘庭園の紅葉

日本画家に原寸大に描かせて多色木版
刷りで300部制作された『蘭花譜』。現
在これだけ精巧な木版を刷れる摺り師は
数少ないとのこと。
大山崎山荘の蘭温室


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