殿ヶ谷分水と新田開発 |
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年代不詳
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2000年現在
マップ参照
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平和橋のたもと拝島分水口より少し下流の対岸に、殿ヶ谷分水口がある。殿ヶ谷分水は徳川八代将軍吉宗による幕府の財政立て直し策・享保の改革の一環で奨励された新田開発により開かれた宮沢・中里・殿ヶ谷新田(現在の昭島市美堀地区、立川市の西砂地区)一帯の生活用水と農業用水に利用された。
殿ヶ谷分水は縦12.12センチ、横18.18センチ、容積220.34立法センチメートルの樋口より取水し、下幅0.8メートル、上幅1.5メートル、高さ2.0メートルの素掘りの水路により水を供給していた。
昭和38年(1963)当時の現況調査によると、かつてはこの殿ヶ谷分水が流域の唯一の飲料水であったが、砂川簡易水道(給水人口4,800人、一日最大給水量720立方メートル)ができたものの、渇水期には水源井戸に横田基地の汚水が流れ込んで飲料に適さないため、早朝に同分水の水をろ過して使用しているとのこと。
また、火事の際には応急の堰を水路に施して消火に利用。消防車1台分の能力があった。
しかし昭和60年代以降、水路は畑と宅地にはさまれサンドイッチ状態になり、埋め立てられたり家庭の雑廃水が流入して下水化してしまった。現在は分水口が残るのみ。埋め立てられた水路の一部は殿ヶ谷緑道になっている。
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殿ヶ谷分水の水路跡地
殿ヶ谷緑道
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