庄司徳治コレクションより

日光橋
日光脇往還と日光橋
明治24年煉瓦積みアーチ橋になった当初
2000年現在


拝島駅北口近くにある日光橋は江戸時代、八王子千人同心が日光勤番に赴くために整備した日光脇往還が玉川上水を横切るのに設けられた橋で、近年まで埼玉・群馬方面と八王子を結ぶ主要な橋だった。

八王子千人同心たちは拝島の渡しを使って多摩川を渡り、この日光橋を経て坂戸宿、松山宿、館林宿ルートで約40里(160キロ)を往復し日光東照宮の警護に当たった。

脇往還は江戸五街道以外の主要な街道を指し、脇街道とか脇道とも呼ばれ、主なものに水戸路、伊勢路、善光寺道、山陽道などがあった。

徳川代々将軍が東照宮に参詣する目的で敷設されたのが江戸五街道の一つ日光街道(日本橋〜日光坊中)である。

日光橋は明治24年(1891)に煉瓦積みアーチ橋に架け替えられ、昭和25年(1950)年に現在のコンクリートに。

日光脇往還は交通量の増大と青梅線・五日市線・八高線の踏み切り問題を解消するため昭和40年(1965)に、それらの鉄道と玉川上水ををまたぐ新道・国道16号が設けられて、日光橋を迂回する武蔵野橋が誕生。日光橋はそれまでの役割を終えた。

閑散とした現在の日光橋
マップ参照
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