庄司徳治コレクションより

四谷大木戸跡
玉川上水水路最終点:四谷大木戸跡付近
四谷大木戸付近の玉川上水の余水を渋谷川へと
流している水路
。年代不詳だが
1962〜63年当時まで水路には余水も流されていた。
新宿御苑前付近の甲州街道と新宿通りの分岐点。
1990年以降も江戸時代と骨格は変わらないが、玉川上水
の水路も暗渠になり上は車道になって往時茫々に。
承応3年(1654)完成した玉川上水の終点は四谷大木戸、現在の新宿御苑大木戸門付近であった。羽村取水口から約43キロ。

ここまで開渠の水路で送られてきた多摩川の水は、この先は地下に張り巡らされていた石樋や木樋で江戸城をはじめ市中に配水されて、命の水となり江戸の繁栄を築いた。

終点となった四谷大木戸付近には高遠藩内藤家の屋敷があり、玉川上水から分水を引き入れて庭園内に池も設けられていた。また、玉川上水の余水吐けの先は渋谷川に導かれていた。その様子が下の古地図からつかみとれる。

明治の世になって近代ろ過水道の必要性から、改良水道の計画が進められ10年余りの明治31年(1897)に淀橋浄水場が完工。

同時に代田橋付近から同浄水場へ向けてほぼ一直線に新しく水路を築き、より早く効率的に水が送られることになった。以後、代田橋から下流の玉川上水の水路は“主役の座”を下り、補助的に使われることになり、大部分が道路拡張工事で張逐次暗渠化されていった。
Yahoo!地図情報より江戸時代の内藤新宿付近。
四谷大木戸水番屋跡付近には後に東京都水道局
大木戸営業所が設けられ、その敷地内に『水道碑』と
『四谷大木戸跡碑』が建てられいる。

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