庄司徳治コレクションより

茜屋橋
染草・茜の集荷元締め屋号に因む茜屋橋
昭和10年当時。江戸後期から関東一の桜の名所と
されてきた小金井堤の桜の賑わいがまだ健在で。
2006年現在
マップ参照
新小金井街道(都道248号府中小平線)と西武新宿線の立体交差工事が2006年3月に完了・全面開通して、ますます通行車両が増えた茜屋橋。

新小金井街道と玉川上水と交差する地点で、小金井市と小平市の市境付近にかかっている現在の橋は、昭和54年(1979)に架設。

平成4年度に行われた『玉川上水橋梁郡整備』事業で歩道設置・塗装・補修工事が実施された。工事にあたっては“桜の名所”の中にある橋として、桜と水と緑との調和をはかったと説明板に書かれている。

この橋は明治初年に、橋の南側で藍玉の集荷を家業としていた島田家が、対岸の五日市街道へ渡るために玉川上水に3本の材木をかけたのがそもそも。

島田家は当時、この付近でも盛んに栽培されていた茜の元締めもしており、屋号を『あかね屋』と称していたことから、茜屋橋と呼ばれるようになった。茜はムラサキ(紫)と藍に並ぶ武蔵野三染草の一つで、付近に自生もしていたようだ。

島田家は享保年間の武蔵野新田開発促進で、桧原村から堀野中新田(現在の小平市上水南町)に移住して、木材業など手広く営んでおり内藤新宿にも出店があった。

茜屋橋付近の玉川上水堤の桜

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