庄司徳治コレクションより

喜平橋
組頭・喜兵衛さんの名に因む喜平橋
昭和30年代
平成18年現在
現在の喜平橋は昭和46年(1971)10月に建設され、その後、平成3年(1991)度に『喜平橋修景整備に伴い、橋上の両側に歩道と4車線が設けられ、東側の歩道部分には玉川上水とこの周辺地域の案内や石のベンチを配したポケットパークが設置されている。

修景整備にあたって、かつてのように親柱と高欄を石の素材感を生かしてデザインしたそうである。

明治期には石積み一連のアーチ橋だった。喜平橋の名は小平新田開発の一つ堀野中新田の組頭だった喜兵衛さんの家の傍にあったことから、喜兵衛橋と呼ばれていたが、現在は喜平橋と改められている。何時の頃からかは定かではない。

喜平橋で五日市街道は玉川上水の左岸から右岸側に移行し、小平駅前〜国分寺・府中方面への国分寺街道上下線など7道が交差する交通難所となっている。

喜平橋北側一帯の山家集落が強制買収で陸軍経理学校が開設されたのが昭和16年。敗戦後の昭和23年(1948)には、その跡地に関東管区警察学校が建設され、昭和40年(1965)に小平団地の入居が始まり、喜平橋一帯は急変した。


喜平橋のポケットパーク

マップ参照

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