庄司徳治コレクションより

野火止用水・新堀用水分水口
野火止用水と新堀用水分岐点
羽村取水所から約12キロ下流に位置し現在、玉川上水小平監視所(西武拝島線玉川上水駅より300メートルほど東)が設置されている地点は、野火止用水の分岐点である。

承応3年(1654)に玉川上水が竣工した翌年に、約40日の工期でここから新座を経て新河岸川まで、全長25キロほどの野火止用水が完成している。

その開削を手がけたのは時の川越藩主・松平伊豆の守信綱で、家臣の安松金右衛門に命じて開削に当たらせている。金右衛門は長崎で測量技術を学び、先に川越藩の物資を江戸に送るため新河岸川の船運を成功させたといわれている。

自領川越藩に水を送るための野火止用水の開削と工期が余りにも早いので、玉川上水の開削そもそもが松平伊豆の守の策略ではないかとわれ、“知恵伊豆”とも。

明治3年(1870)4月〜同5年5月末まで実施された玉川上水通船
に備えて、分水口の統廃合が行われ小川分水口も小川橋橋詰から野火止用水分水口隣に移設された。同時に小川分水を分岐させる新しい水路・新堀用水も開設され、両水路を指して小平用水と通称されるように。

昭和40年(1965)淀橋浄水場閉鎖に先立ち、代替の東村山浄水場の開設などに伴い、野火止・小平用水分水口は閉鎖され姿を変えてしまった。

小平監視所下流の玉川上水現況
分水口の仕組みと水量の豊富さが伝わる昭和26年頃
かつての面影を全く留めない2006年現在

マップ参照

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