庄司徳治コレクションより

松中橋下流の堰
砂川分水口と柴崎分水口
昭和35年頃
2000年現在
玉川上水・立川市一番町地区にかかる松中橋の下流5〜6メートルに、小さな堰が現存している。

この堰の右岸に砂川分水の取水口があった名残である。明暦3年(1657)砂川分水が開削された当初は、この堰よりさらに300メートルほど下流の天王橋下流右岸に分水口があったと記録されている。

その後、砂川分水口は松中橋下流に付け替えられ、さらに明治3年に上水に沿った新しい水路が堀られて、上流側に移され現在に至っている。

また、現在の砂川分水口より5メートルほど上流に柴崎分水口が並んでいる。柴崎分水は八代将軍吉宗の時代、幕府財政再建策の一環として武蔵野新田開拓のため元文2年(1737)開削され、現在の立川市の中心地域の生活・農業用水として利用されてきた。流域の一部は昭和記念公園内で現在も活用されている。


松中橋上流の砂川・柴崎分水口

マップ参照

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