No.2


今回、中禅寺湖を再訪したのはH・ハンターが最後に建て、終戦前後に病気

療養をしていたこともある千手ケ浜の別荘を訪ねるのが一つの目的でした。が、

千手ケ浜には九輪草の群落が見られる場所があるという話を耳にして、ぜひ見

たいと再訪のスケジュールを九輪草の開花期とにらみ合わせながら、前回も同

行してもらった友人と訪ねました。今年は4月〜5月末にかけて低温の日が続

き、インターネットで奥日光の気象や花の情報を調べても、九輪草の開花予報

がはっきりしないまま、運を天に任せて6月4〜6日にレッツゴー!



九輪草の開花期も群生地もはっきりしないまま、向かった中禅寺湖畔の最奥地千手ケ浜
で、足の向くままたどり着いたのがH・ハンターの別荘跡で、その周囲が奇しくも九輪草の
楽園でした!九輪草の群落の背後に見えるのが主亡き後の別荘の無残な姿。



初夏の一時期戦場ヶ原を彩るズミの花
                          
                           千手ケ浜へのアクセスは、菖蒲ケ浜から湖岸沿いの山道を歩くか、赤沼
                           から低公害のハイブリッドバスを利用するしかなく、今回はバス利用。

小田代ケ原のシラカバ林を抜けて西ノ
湖へ。ハルゼミのコーラスにミソサザイ
のソプラノがロンドを。


新緑が萌え、眠りから覚めたような西ノ湖。
湖畔にはかつてH・ハンターが設けた鱒の
養魚場があったが、魚の棲まない湖。


西ノ湖湖畔のズミの大木の下で。コリンゴとか
コナシの別名のあるズミ(酢実)の花の下に立つ
と、甘い香りがそこはかとなく漂ってくる。


東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部の
元レストハウス。H・ハンターの釣具などは往
時のままに。彼の死後は同クの管理人を務
めていた故伊藤乙次郎さんが譲り受け漁を
しながら湖の監視員を。


H・ハンターが没して約60年、今年の冬の大
雪で屋根が陥没して、倒壊寸前の千手ケ浜
別荘。柳沢川の清流をはさんで元レストハウ
スの対岸に設けられていた。



「ハンターさんファミリーが日本の近代化に寄与
した功績が知られてないのが悔しい」と語る伊
藤治さん。偶然お会いすることができた。故乙
次郎さんの甥で、元レストハウスに住まいなが
ら九輪草の群落などの管理をしている。


倒木も目立つ元千手ケ浜別荘周辺の柳沢
川。ゆるやかに流れる川面に九輪草が影を
映して、時が過ぎ行くままに。


ピンクや紫紅色、白などの小花をサークル状
につけ、段咲きになる九輪草。仏塔などの屋
根に取り付けられている五輪になぞらえて命
名されたそうですが、H・ハンターの所縁の地
に相応しく思えて…。
ハルニレやミズナラの新緑を背景に群生し
ていた九輪草のサンクチュアリ。にわか雨
の上がった後、一層色鮮やかに。


千手ケ浜まで遊覧船が運航しているのは
7〜8月に限られていますが、この日は団
体ツアーのための臨時運行便に乗ること
ができてラッキー!生憎、厚い雲が垂れ
込めたけど。
H・ハンター所縁の地を訪ねるたびに、悪天候と
ハプニングに遭遇。今回の再訪でも濃霧や雷雨
そして何処からともなく蝶が舞い降りてきました。
私たち二人は「蝶はハンターさんの化身ではない
か」と。蝶の採取に入れ込んでいましたから。

最終日に晴れ上がった中禅寺湖の空。湖尻の
船の駅付近から。
「サヨナラ、ハンターさん、シロヤシオ、九輪草!」
またいつの日か再々訪を願いつつ、帰途に。



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