在りし日の姿を求めて 33
小平の範多農園の在りし日の勇姿 2




母屋の敷地に設けた温室の背後に
広がる農園。並木はまだ若木に見える。


変色して不鮮明になった写真だが、
母屋の庭園から見た小金井カントリー
だと思われる。

鈴木街道付近に設けられていた
表門
      範多農園のランドスケープ

卒寿を越した現在も、元範多農園敷地内の一角に暮らしている
伊藤徳造さんの脳裏に焼きついている 農園風景を再現してみる
と…

範多農園は左図のように鈴木街道から南に向けて、サントリーの
角瓶に似た地形をしており、田無分水と交わる辺りに表門を設け、
そこから2間幅の道路が真っ直ぐ、1万2000坪の縦断して母屋に
通じていた。

母屋の長屋門から小金井街道に接続する道路も設けており、農
園と隣地の境に裏門が設けられていた。

「表門と裏門は直径1.2尺(約40a) の檜の丸太材を使った門柱
に、檜の門扉がつき実に堂々としたもので、裏門の門柱は数年前
まで残っていましたが、道路の舗装工事で取り壊されて…」と伊藤
さんは残念がる。

表門を入ると道路の両側に栗林が広がり、田無用水付近に竹や
ぶが続いていた。 用水の水路に面して管理人の住まいと作業小
屋が設けられいた。

表門から母屋に伸びる道路には細かい砂利を敷き、その両サイド
は大きな玉石を埋め込んで砂利止めがしてあった。

500〜600b続く沿道にはモミジと八重桜が交互に植えられ、春
は桜、秋にはモミジの紅葉で目が覚めるようだったとか。 残念なが
ら農園風景の写真は殆ど残されてない。

並木越しに眺められる農園は泰西名画に見られる風景ながら街
路樹にモミジと八重桜を配したのもH・ハンターの好みだろうか。

農園の牧歌的な雰囲気は軍国ムードを忘れさせくれるようだった
が、H・ハンターは農園に起居するようになって間もなく、彼のアイ
デンティティに関する国籍問題に直面している。

英国留学から帰国する折に取得した英国籍のままでは、事業で
築き上げた資産も日本で有する家屋敷はおろか、奥日光ほかで
所有していた別荘も封鎖される気配が濃厚に。

苦慮した末に昭和15年10月1日に日本国籍の回復を申請。3
日に受理され、30年ぶりに戸籍名・範多範三郎に戻った。

この前後から50代半ばに差し掛かったH・ハンターは深酒すること
が多くなり、アル中症状が目立つようになったと伊藤さんは記憶し
ている。
サインをするにも手が震えるので、お気に入りのスコッチ・フォーティ
フィケーションをショットグラスで一杯呷ってから、ペンを握っていた。



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