在りし日の姿を求めて 32
小平の範多農園の在りし日の勇姿 1


               範多農園母屋の移築

庄屋を移築した堂々たる範多農園母屋


掘りコタツ形式の座卓をしつらえた応接間


一枚板の欅座卓 右上は骨董の時計


二階ゲスト用ベッドルーム

昭和12年小金井カントリー倶楽部の北側一帯1万6,000坪を隠遁生活用
に購入したH・ハンターは、ゴルフ場に接した4,000坪を宅地に、残り1万6,0
00には本格的な土壌改良を施して英国カントリーサイドに見られるような洋
風農園を造成。

1万6,000坪の敷地といえばバラ園で有名な旧古河邸の2倍に相当する広
さである。

用地買収と同時進行で求めた那須塩原の元庄屋の建物は 建坪が200坪
もある長屋門構えの堂々たるものであった。

それらを深川の桑原棟梁に請け負わせて小平に移築すると同時に、 川崎
の古い民家 3棟も購入して農地内に移築させた。

「いずれ戦争が始まると家に困る人間が出てくるだろう」 という程度の軽い気
持ちで別棟を3棟も移築したそうだ。

元庄屋の建物の移築するにあたって解体・運搬作業だけでも当時 稀に見
る難事業の連続だったという。

H・ハンター側近の伊藤徳造さんによると 「三抱えはある馬鹿でかい柱や梁
を扱うのですから。那須〜小平間の輸送は貨車とトレーラー、トラックを使い
分けて長時間かけて手厚く運ばれました」

赤坂の 『範多事務所』二階にあったH・ハンターの住まいを施工したのも桑
原棟梁で、その腕に全幅の信頼をおいて移築を任せたそうだ。

元庄屋の移築にあたって建坪を130坪に縮小したが茅葺屋根の厚みは60
センチ以上もあり、一階は玄関土間続きに囲炉裏の間、掘りごたつ形式の
座卓をしつらえた和室応接間、10人は腰掛けられるテーブルを置いたダイニ
ングとキッチン、H・ハンターの私室と暖炉の部屋。

ダイニングテーブルは利根川河口に流れついた樹齢数百年の流木で特注。
虫喰い跡や腐食した部分も敢えてそのままにして利用。「その方が味がある。
ネイチャーだ」というのが、H・ハンターの持論であった。古い物を大事にする
のは英国の国民性でもある。

二階は純洋式のゲスト用ベッドルームが3室、 いずれもバス水洗トイレ付き
という、和洋折衷の作りになっていた。

ゲストルームは一流ホテル並みの仕様になっており、アメリカで勉強した清水
組(現清水建設)の若手インテリアデザイナーが設計した。





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