在りし日の姿を求めて 31




No.2
2003年9月

H・ハンターと鱒釣り



H・ハンターの足跡の中で忘れてならないのは鱒釣りであろう。東京アングリング・エンド・カ

ンツリー倶楽部のそもそもは、H・ハンターが釣りを愛し中禅寺湖の自然環境の中で心ゆく

まで釣り糸を垂れ、鱒釣りを楽しみたいとう思い入れが、その誕生につながっていると思う。

アングリング(anglig)は主に虫を模倣した毛鉤を使ったフライ・フィッシングを意味しており、

英国では釣聖と称されているアイザック・ウォルトン(1539〜1683)の時代からカントリージ

ェントルマンの嗜みとされ、スポーツや娯楽の中でも最も人気があり、釣り愛好家の間では

「一生幸せでありたかったら、釣をしなさい」とまで言われていたそうだ。

H・ハンターも数多い趣味の中でもフライ・フィッシングには相当の研究を重ね、西ノ湖畔

で鱒の養殖も手がけている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

西六番館から菖蒲ヶ浜・千手ケ浜へ

中禅寺湖畔大崎の西六番館から菖蒲ヶ浜、さらに千手ケ浜まで約8キロを歩いてみました。

H・ハンターも釣を楽しんだ外山沢川清流 オフシーズンの神秘的な千手ケ浜 千手ケ浜ボート乗り場

中禅寺湖観光マップでは湖尻から菖蒲ヶ浜までと同じように、千手ケ浜まで遊歩道をつたって

リバーサイドウォークができるようにみえましたが、菖蒲ヶ浜のキャンプ場で管理人から「この先

は行き止まりだよ」と注意され、教わったルートを探して歩き始めたところ、それまでとは打って

変わってアップダウンの激しい山道にさしかかり、倒木に阻まれたり、岩場を登ったり…。

途中何度も引き返そうかと。幸い同行の友人が山登りの経験が豊富で、助けられながら湖

水に沿った平坦な路に達した時は地獄から解放されたような感激に浸りました。

中禅寺湖畔のアカヤシオ 千手ケ浜の東京アングリング倶楽部クラブハウス かつて養魚場のあった西ノ湖畔

H・ハンターの西ノ湖での鱒の養殖について

東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部が帝室林野局から
千手ケ浜から西ノ湖(さいのこ)一帯の御料地34万坪の借地
を許可されたのは大正14年7月24日のことで、 それから半年
ほど後に柳沢川の堰堤と西ノ湖にかけて水路の掘削などの大
工事に取り掛かった。

その間、西ノ湖畔に35坪の見張り番小屋と3面の養魚池(合
計200坪) を造成する借地の許可も得て、H・ハンターはカナ
ダからブラウン・トラウト、 カムループス・トラウトなどの卵を取り
寄せた。

当時の輸送は船便しかなく、 太平洋を横断するのに3週間近
く要するので、鱒の腹から取り出した卵を育卵器に入れて細心
の注意を払いながら輸送しても、船内で孵化してしまうことも多
く苦心したそうだ。また 横浜から奥日光まで運ぶのも容易でな
かった。

その頃放流したブラウン・トラウトは地元ではハンター鱒と呼ば
れ、釣師の間では珍重されてきた。

釣具にもこだわっており、愛用したのは英国のハーディ社製で
H・ハンター自身が英国で求めたり、ロンドン在住の友人にリ
ストを送ってしばしば取り寄せていた。

ラトヴィア総領事という外交官特権で、船の定期便でH・ハン
ター専用の旅行トランクが日英間を往復しており、そのトランク
でリストが英国に運ばれ、折り返しオーダーした竿やリールなど
がトランクに収まって彼の手元に届いていた。



中禅寺・つたやホテルロビーに
展示されているH・ハンター愛
用の釣具
つたやホテルはH・ハンター側近の伊藤
徳造さんとレストハウス管理人の伊藤
乙次郎さん兄弟の本家が経営

千手ケ浜レストハウスの壁面に残る
H・ハンターのフライフィっシングの毛

在りし日の範多い農園トップへ