2000年11月鯛生金山跡を訪ねてNo.3

その後の鯛生金山の紆余曲折の足取り
明治27年 行商人が拾った小石から金山の路頭を発見
   31年 地元の田島儀一と鹿児島の南郷徳之助らにより採掘開始。鯛生野鉱山と名づけられる
大正7年 英人ハンス・ハンターにより近代的操業開始。鯛生金山(株)となる。
  14年 採掘経営権木村鐐之助に譲渡されるが、経営は久原房之助(久原鉱業kk)に委ねられる
昭和4年 木村鐐之助の経営となる。昭和8〜9年には坑道の総延長110キロに
  12年 鯛生産業kkと改め、年産金2.4t 銀20tに達し東洋一の金山となる
  18年 金山整備令により休山、帝国鉱業kkに引き継がれる
  24年 新鉱発kkに引き継がれる
  31年 鯛生鉱業(住友金属鉱山の子会社)を創立し操業開始
  33年 大口鉱業kkと合併、鯛生鉱業kk鯛生鉱業所として新発足
  35年 250t/日処理の青化精錬所を完成、精錬操業再開
  42年 坑内最下底部まで排水作業完了、下部採掘に移る
  43年 周辺地区の探鉱に重点をおく
  44年 探鉱の成果なく鉱量枯渇のため休山。
  47年 品位低下と赤字累積により全面的に閉山。
  53年 金山所有の施設・設備・土地・山林など中津江村に寄付される。
  58年 地底博物館鯛生金山オープン。年間50万人が訪れる観光地として注目を
平成15年 地底博物館鯛生金山開館20周年を迎えた

国際色豊かだった昭和9年当時の鯛生金山 福岡県側の矢部村に設置されて
いた矢部インクライン


地底博物館 鯛生金山NOW
砂金採りの体験ハウスやレストラン、売店な
どアミューズメント施設も揃った地底博物館
H・ハンター経営時代のクラブハウスを
イメージにした金山資料館



鯛生金山跡を訪ねる旅を終えて

H・ハンターのパイオニア精神と財力、人脈でかつてゴールドラッシュに沸き、そ

の後金鉱脈の枯渇で閉山して沈んでしまった中津江村鯛生地区が、金山の

採掘坑道を利用して地底博物館として甦っている姿に目を見張りました。

そうしたH・ハンターの足跡が近代化遺産として刻まれているのを確かめる駆け

足の旅でした。現在、中津江村には民家が500戸あまりで観光・レジャー用の

レストハウスは完備していますが、単身で泊まれる民宿は1軒のみ。県道や下

筌ダム補修工事の関係者が主に利用しているようで、女性一人旅の私は大

変不審がられました。しかも東京から飛行機とバスを乗り継いで行ったので民

宿の老夫婦は驚いていました。でもとても親切で家庭的でした。


小雨にけぶっていた晩秋の鯛生金山


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