小平市玉川上水を守る会編 | |
『上水記』 |
元 号 | 西暦 | 主なできごと | ||
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承応元年 | 1652 | 幕府は江戸の人口急増に伴う市街地拡張による飲料水の不足解消のため、老 中・松平伊豆守信綱が総奉行となって対策を検討することになった。 |
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承応2年 |
1653 |
1月、玉川上水開削計画を決定。 2月、伊奈半十郎を工事担当奉行に任し、工 事は玉川庄右衛門・清右衛門兄弟に当たらせた。 着工は4月。11月、四谷大木 戸まで水路完成。里程約43`(10里31町) 平均幅3.6b。 安松金右衛門は工事 請負人でなく導水路の設計に携わったという説。 |
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承応3年 | 1654 | 6月、玉川上水通水成る。 | ||
承応4年 | 1655 | 野火止用水完成。 | ||
万治2年 | 1659 | 本所上水(亀有上水)開設。 | ||
万治3年 | 1660 | 四谷大木戸から分水した青山上水〜赤坂・麻布・芝方面へ給水。 | ||
寛文4年 | 1664 | 下北沢地先から分水した三田上水〜芝・麻布へ給水。 | ||
寛文10年 | 1670 | 玉川上水を3間幅に拡張し両岸に植樹。 | ||
元禄9年 | 1696 | 千川上水完成により、保谷村地先から本郷・下谷・浅草方面へ給水。当時の江 戸人口100万人突破。 |
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享保7年 | 1722 | 10月、4上水(本所・青山・三田・千川) が廃止となる。理由は明暦2年(1657)の 大火を機に水道が火災を誘発するとの建議が成立したことによる。 |
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享保17年 | 1732 | 玉川上水から武蔵野新田への分水完成。 | ||
元文2年 | 1737 | 小金井桜植樹。 | ||
元文4年 | 1739 | 羽村の馬喰橋から宝蔵院までの内、約400b(約200間)を新に玉川上水を開削。 | ||
明和7年 | 1770 | 小川村名主・弥次郎の父東半燔は普請方役所へ、玉川上水での通船を小川村 から四谷大木戸、又は内藤新宿の天竜寺辺までを願出。 |
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慶応3年 | 1867 | 10月、砂川源右衛門、普請方役所へ通船願出、船数100艘、船の長さ 6間(11b)幅5尺(1.5b)許可船数81艘。 |
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明治元年 | 1868 | 6月、玉川上水及び神田上水が東京府の管掌するところとなる。 | ||
明治2年 | 1869 | 上水の汚濁により、上水沿い23ヵ所に高札を改めて建てる。上水取り 締り令も再三である。玉川・神田両上水の大規模修理を実施。 |
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明治3年 | 1870 | ・4月、玉川上水路に「通船」許可、通船事業を開始、上水の川幅の拡 張、揚場、物置場、船溜を設営。 |
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・通船に伴い上水の分水口の左岸は新堀用水・右岸は砂川用水(深大寺用 水)からの一帯管理となる。 |
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明治5年 | 1872 | 5月、上水の汚染がひどいことから同月末日をもって通船事業廃止。 | ||
明治7年 | 1874 | 5月、近代水道事業を発足するため、オランダ人技師フアン・ドール ンが東京水道改良設計書を提出。 |
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明治8年 | 1875 | 2月、実施調査をまとめて設計書提出。 | ||
明治11年 | 1878 | 玉川上水の水質維持のため、両上水の緑地は東京府の管理となる。 | ||
明治18年 | 1885 | 「水道碑」上水の終点新宿内藤町に建立。 | ||
明治19年 | 1886 | 7月、日本橋をはじめとして「コレラ」大流行、患者12,171名、死者9,879名。改良水道事業促進への動機となる。 | ||
明治21年 | 1888 | 束京府による玉川上水の敷地調査を実施、上水の汚濁の実態を報告。 | ||
明治23年 | 1890 | 4月、かねてから上水施設の近代化を図るため、総合的、現実的に示 した「東京水道改良計画」を決定。 |
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明治25年 | 1892 | 新宿淀橋浄水場建設工事開始。 | ||
明治26年 |
1893 |
4月、東京府に三多摩地域が編入。理由は玉川上水の汚濁防止と東京 府民の水を供給していた水源が羽村にあり、管轄は神奈川県に属して いたことから、問題が派生する毎に相談をするという不便解消策もそ の一つである。 |
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明治29年 | 1896 | 4月、用地買収完了、10月、淀橋浄水工場で盛大な起工式を挙行。 | ||
明治31年 |
1898 |
淀橋浄水工場完成、創設改良水道は玉川上水を現状のまま導水路とし、 淀橋浄水場、和田堀内村、代田橋から直線の新水路開通、余水吐は南 に迂回して旧上水路に放流。 |
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明治32年 | 1899 | 改良工事により鉄管水道の敷設完了に伴い、玉川上水の樋筋廃止、上 水制度の近代化スタート。 |
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明治41年 |
1908 |
12月、玉川上水の助水路として明治期まで利用していたが、極度に水 質が悪化したことにより残堀川の改修工事を行い立体交叉にし水路橋 を設けた。 |
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明治45年 | 1912 | 5月、第2案である村山貯水池案が区改正委員会で決議し、採用決定。 | ||
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大正4年 | 1915 | 玉川上水桜並木指定区域内、桜樹数1,168本。 | ||
大正5年 | 1916 | 村山貯水池の工事起工。 | ||
大正8年 | 1919 | 11月、永田町小学校全児童、井の頭公園へ遠足。児童一人が上水の急 流に呑まれる。助けようとした松本虎雄訓導が殉職。記念碑は万助橋 下流に建立。 |
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大正12年 | 1923 | 羽村線導水管敷設により玉川上水第3水門から東村山貯水池へ通水。 |
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9月1日の関東大震災では、笹塚隧道、第14号橋などが亀裂、決壊、 給水の復旧に3ヶ月を要した。 |
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大正13年 |
1924 |
水道拡張工事により村山貯水池、境浄水場、和田堀線が完成、村山貯 水池から境浄水場へ、そこから玉川上水路に放流、和田堀給水場まで 導水。 |
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昭和2年 | 1927 | 3月、復興速成工事により東村山の下・上両貯水池が竣工。 | ||
昭和7年 | 1932 | 10月、山口貯水池への通水式挙行。 | ||
昭和9年 | 1934 | 6月、小河内貯水池着工。 | ||
昭和13年 | 1938 | 11月、小河内貯水池起工式。 | ||
昭和23年 | 1948 | 6月、太宰治、玉川上水へ入水自殺。 | ||
昭和29年 | 1954 | 玉川上水用地不法占拠のアパート建設物に対し代執行を行う。 | ||
昭和32年 | 1957 | 11月、小河内ダム本体施設が完成。 | ||
昭和33年 | 1958 | 水不足解消のため新規に浄水場施設として村山浄水場の工事着工。 | ||
昭和38年 |
1963 |
東村山浄水場へ送水するための立川線導水管を小平監視所から敷設。 残堀川の水路橋は豪雨のたびに流木・ゴミが滞留し周辺部に再三にわ たり大きな水害をもたらすので残堀川を玉川上水の下にサイホン式送 水を採用。 9月、第2水道拡張事業東村山浄水場への砂川線導水路により、玉川 上水からの野火止用水堰、小川分水堰(新堀用水含)があった場所へ小 平水衛所(監視所)を新設、掘削りによる原水の旅はここで終わる。 |
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昭和40年 |
1965 |
首都圏整備構想の一環として新宿副都心計画に基き3月30日をもって 淀橋浄水場の施設と機能は東村山浄水場に移転。玉川上水の役割は羽 村取水口から小平監視所までとなる。砂川線導水管により原水は東村 山浄水場へ。玉川上水による大江戸までの「命の水」の給水は 341年 の歴史を閉じる。 |
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昭和41年 | 1966 | 朝霞浄水場が通水開始。 | ||
昭和43年 | 1968 | 都は「玉川上水史跡指定に関する連絡協議会」を発足。 | ||
昭和49年 | 1974 | 下水処理水を環境保全用水として利用し、玉川上水、野火止用水、千 川上水にそれぞれ導水することについて検討を始める。 |
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昭和55年 | 1980 | 7月第4次利根川水道拡張工事の一環として、多摩川から取水施設と して羽村堰下流(500b)に小作取水堰を新設。 |
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昭和57年 | 1982 | マイタウン構想発表、放流復活の事業として、野火止用水、玉川上水、 千川上水を対象に計画をねる。 |
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昭和59年 | 1984 | 多摩川上流処理場から10.7`を70aの導水管によって2.5次処理水を野 火止用水に放流復活。 |
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昭和60年 | 1985 | 12月、玉川上水の補修工事着工、43ヵ所、延長約2,380b | ||
昭和61年 |
1986 |
7月、補修工事完了。8月27日、多摩川上流下水処理場から小平監視 所脇の調整槽へ導水し、21年間枯れ川であった玉川上水に「清流」復 活。小平監視所から開渠の浅間橋、その先は暗渠で神田川に放流して いる。 |
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平成元年 | 1989 | 千川上水にも流水がもどる。 | ||
平成11年 | 1999 | 3月19日、玉川上水を都歴史環境保全地域に指定。開渠部約30`。 | ||
平成13年 |
2003 |
8月27日、東京地裁による調停が成立、40年来の敷地所有権論争に終 止符、「国の史跡」として指定。羽村堰第2水門から浅間橋までの開 渠部分約30`。 |
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