元西六番別荘の船着き場に下りて、蘭の花を湖水に浮かべた後、二荒山神社の
客殿に場を移して、レクチャー講演会を。と言っても膝を崩して、井戸端会議
のような雰囲気で、和やかなひとときを過ごしました。

今回は全日本外洋ヨット選手権優勝チーム(1989、2002、2012)のメンバ
ーの一人、小林多(まさる=麒麟麦酒勤務)さんを講師に招いて、ハンス・ハン
ターにも所縁の深い「湖水地方とヨット」について、映像にワクワクしながら
耳傾けました。湖水地方と中禅寺湖の環境や気候、日本でのヨットセーリング
の歴史、ヨットの種類などについて小林さんは関西弁の柔らかい口調で、旧知
の間柄のように話してくれました。

日本で初めてヨットレースが行われたのは、明治8年(1875)海外からの玄関口・横浜で、
その翌年にはアマチュアのヨットクラブが誕生したそうです。そうした歴史はともかく、ハ
ンス・ハンターが『東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」を創設して、毎夏、西
六番別荘で在日外交官を迎えて活躍していた昭和初期。彼の遺品である16ミリ映画フィル
ムには、ボートレースに興じる外国人と地元有志の姿に交じって、白い帆を掲げたヨットが
中禅寺湖を滑っている映像があったように記憶しています。

また、「日本セーリング連盟」の記録によると、昭和10年(1935)に『男体山ヨットクラ
ブ』が設立されていますが、地元史では昭和8年当時、夏には毎週1回、英仏白伊大使や
外交団を中心としたヨットレースが中禅寺湖で開かれていたそうです。

そうした時代背景から、地元の有志たちは中禅寺湖にもう一度ヨットを滑らせたいと、願っ
ているそうで、小林さんの話に熱心に聞き入っていました。イングランド湖水地方に劣らな
い自然環境を誇る中禅寺湖で、白い帆を掲げたヨットが湖面を滑る日が訪れるかもしれない
と、参加者たちの胸も高鳴った夕べでした。



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