未曽有の大災害を経験した3・11、東日本大震災・福島原発事故から半年。
ここ中禅寺湖でも、一時、湖水の放射能汚染が危ぶまれたり、観光や避暑で
訪れる人が激減するなど、その後遺症が続いていた2011年9月24日、
西六番別荘跡で、第4回「ハンス・ハンター忌」が開かれました。

西六番別荘はフライフィッシングを通じて、皇族を始めとする名士や各国外交官が集う
国際的な社交クラブ『東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部』の拠点でした。
男体山の雄姿と二荒山神社の赤鳥居を背にした『西六番別荘』は中禅寺湖畔でも、最高
の場にあります。この別荘は明治26年、トーマス・グラバーの別荘として建てられ、
その後、昭和2年にハンス・ハンターにより、クラブハウスとして建て替えられました
が、昭和15年8月末に火災で全焼してしまいました。

ハンス・ハンターもその後、病に倒れ、昭和22年(1947)9月24日、64歳で他界。
そのハンターの命日にあたるこの日の午後3時、初秋の霧も晴れ上がり『西六番別荘』
跡地へ彼を偲ぶ人たち約20人が参集。同別荘跡で唯一姿を留めているマントルピース
に、蘭を献花して黙祷を。その後、蘭の花びらを湖水に散華しました。



この日の参加者には、ハンス・ハンターが大戦を目前に、小平に設けた
『範多農園』の管理人を務めていた加藤登一さんの次女・一重幸さんと
ご主人と長男、次男の4人も喜多方市から参加。

ハンター氏の側近を長く務め、『範多農園』内の別棟に住んでいた伊藤
徳造さんの長女・純子さんも初めて参加されました。純子さんは何と!
ハンター氏が他界した日に生まれており、肉親ではないけれど、肉親に
近い方たちに偲ばれて、ハンター氏も彼岸で喜ばれているのではないで
しょうか?人一倍、寂しがり屋だったそうですから。



懇親会とディナータイムへ