在りし日の姿を求めて 24
中禅寺湖畔に高級リゾート開発 その2


外交官別荘が立ち並ぶ明治末期の
中善寺湖畔



中善寺ヨットレガッタ


西六番館跡


倶楽部が所有していたモーターボート
(福田和美氏所蔵)
    東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部の発足


『日光避暑地物語』 の筆者福田和美氏(日光市役所職員)によると、大正
14年7月24日帝室林野局から『東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部』
は正式に許可された。

この年の1月20日に帝室林野局から同倶楽部の活動に認められている借地
面積は、中禅寺湖最奥の千手ケ浜から西ノ湖(さいのこ)にかけて 奥日光御
料地内約34万坪で、メートル法に換算すると1,122ヘクタール余りになり、小
金井公園の15倍くらいの広さになるだろうか。(下のマップ参照)

貸付料金は年1,116円、河川使用料が1年200円で向う5年間西湖、外山
澤川、柳澤川を遊魚の目的の範囲内において許可されている。幸の湖(中禅
寺湖)からこれら河川湖に魚が遡上しないように柵を費用負担で設置すること
も義務付けられていた。それらの費用は当時の金で70万円を要した。現在な
ら70億円は下らないだろう。

河川整備が急ピッチで進められると同時に西ノ湖畔に200坪の養魚池も設け
られ、倶楽部本部の『西六番館』から千手ケ浜までの送迎用モーターボートも
購入。『アヤメ』『千歳』『千鳥』など多くの船を所有し、それらを地元有力者が
新しく設立した 『昇山探勝モーターボート会社』に貸与して、維持管理を委
託。

前年末には 日光いろは坂の拡張工事が行われ、乗り合い自動車の運行が
許可されて足の便もよくなり、『東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部』は
幸先のよいスタートを切った!


同倶楽部の初代会長には加藤高明子爵、副会長は鍋島直映侯爵と岩崎
小弥太男爵(三菱社長)、理事長にH・ハンターが就任している。 加藤高明
子爵は三菱の創始者岩崎弥太郎の娘婿で三菱社から政界に転じて、 この
年の8月には内閣総理大臣に就任するなど、錚々たるメンバーが参集してい
る。

名誉会員には久邇邦久侯爵(香潤皇后の実兄)・当時のドイツ大使・イギリ
ス大使 ・ベルギー大使・林権助元駐英大使・松平恒雄元駐英大使、名誉
賛助会員に秩父宮・東久邇宮・朝香宮、運営委員に赤星鉄馬・鍋島桂次
郎・秋元春朝子爵・田中銀之助・ジョン・ギャツビー(弁護士)など。

理事長を務めるH・ハンターは毎年6月20日の『東京アングリング・エンド・カン
ツリー倶楽部』のオープンに備えて いそいそと中禅寺湖畔の『西六番館』に向
かいいゲストを迎えた。オープン当日は駐日各国大使や各界の名士で華やぎ
各国語が飛び交い文字通り国際的なサロンの雰囲気につつまれた。

赤坂の『範多事務所』のハンター氏の社長業務も『西六番館』移動させて指
揮をとった。側近の伊藤徳造さんによると毎年6月20日から9月初めまでは範
多事務所や東洋鉱山従業員は仕事の連絡で 赤坂と奥日光を往復すること
がしばしばあり、それが楽しみだったという。





在りし日の範多農園トップへ