シェクスピア・カントリーへ 黄昏のメモリーから
   No.4
ストラットフォード・アポン・エイヴォン click here



そして、かの有名な劇作家ウィリアム・シェクスピアが生まれ育ち、晩年を

過ごしたストラットフォード・アポン・エイヴォンへ。長ったらしい町の名前で

すが、upon Avonのuponは、この場合onと同じで、エイボン川のほとりに

あるストラットフォードの町ということだそうで、ロンドンから約150キロ、列

車だと2時間あまりの距離です。

イングランドのほぼ真ん中に位置するこの町。その入り口であるクロンプト

ン橋から、足の向くままに歩いてみましたが、ひなびた可愛い町というのが

第一印象でした。町全体が民俗資料館のようで、半日足らずでシェクス

ピアの生家や通った学校、教会など関係施設が回われるでしょう。





アルバム@  ノスタルジックなシェクスピアの生家:Birthplace




⇒touch 裏側から見たシェクスピアの生家。L字型になって
おり、暖炉の煙突が二本も!当時の中産階級の暮らし
の住まいだそうです。




ストラットフォードの中心街にあるシェクスピアの生家

土壁木骨造りのせいか日本の古民家のような懐かしさを感じたこの家で、

シェイクスピアは1564年4月23日に生まれました。ストラットフォード・アポ

ン・エイボン一帯は羊毛の主用産地で、父親は羊毛の仲買卸商と皮革

商を手広く営んでおり、広い住まいの一部は店舗になっていたそうです。

当時は先代のエリザベス朝時代(1558〜1603年)で、イギリスの産業・貿

易は大きく発展し、スペインの無敵艦隊を撃滅したことでも有名。そういう

時代だからこそ、演劇も盛んでシェクスピアの名作が誕生したのではない

かと…。



アルバムA  シェクスピアの学んだ学校と教会

シェクスピアの学んだ学校(GrammarSchool)

ギルド教会と棟続きになっている木造西洋長屋

スタイルの学校。日本でいえば江戸時代の寺子

屋に相当するのでしょうが、400年以上も前に独

立した建物で教育が行われ、しかも現存してい

ることにオドロキ!


シェクスピアがよく通ったギルド教会




アルバムB  シェクスピアは年上妻、それも8歳年上の!



シェクスピアの妻アン・ハサウェーの実家

シェクスピアの生家と並んで人気の高い観光スポット。シェクスピアは

1582年、18歳のとき8歳年上のアン・ハサウェーと結婚。8歳も年上

だったことはこのツアーで初耳でしたが、彼女は裕福な旧家の娘で教

養があり魅力的だったそうです。まさに“恋に落ちたシェクスピア”です。

ストラットフォード郊外にあるアン・ハサウェーの実家は茅葺き屋根に

オーク材の木組み、壁は漆喰、邸内には果樹園が有り、季節の花

が咲き乱れ、童話の世界に誘い込まれたようでした。




アルバムC  To be or not to be,that is a question!

を地で行ったシェクスピア?

エイヴォン川沿いにあるロイヤル・シェクスピア劇場
演劇を目指す人のメッカで、ファンが世界各地か
ら訪れています。

シェクスピア一家が晩年を過ごしたNewPlace 
建物は現存してなく、礎石だけで庭園に。


1587年・23歳の頃、シェクスピアは家族を残してロンドンに出て劇団に加わった

とされています。1591年・27歳のとき、処女作「ヘンリー六世・第二部」「ヘンリ

ー六世・第三部」を発表。続いて「リチャード三世」などの歴史劇、「じゃじゃ馬

ならし」などの喜劇、「ハムレット」「オセロ」「リア王」「マクベス」の四大悲劇を精

力的に発表して、不動の名声を得ていますが、故郷に妻と3人の子供を残して

単身上京するのは、To be or not to be…の名セリフと同じ心境ではなかった

のかと。

しかし、シェクスピアは40代半ばで故郷ストラットフォードに戻り、生家に近い

場所に新居Newplaceを設けて、晩年を送り53歳で生涯を終えています。

地位と名声を得たら、晩年は地方で田園生活を送るのが英国ジェントリ−

階級の理想だと、何かの本で読んだことがありましたが、シェクスピアも…!


イギリスを代表する画家ジョセフ・ターナーの風景画
を見るような、エイヴォン川畔。
 コッツウォルズ地方へ

⇒イングランド・スコットランドトップへ

     ⇒モグラ通信フロントへ