庄司徳治コレクションより

桜橋
桜橋と国木田独歩の縁の地
昭和年代の桜橋
平成11年の武蔵野境通り拡幅工事前の桜橋
右の石段上に白く見えるのが『国木田独歩文学碑』
高さ60センチ、幅76センチ 根府川石製
マップ参照
明治22年(1889)にJR中央線の前身・甲武鉄道が開業して境駅ができると、駅前から田無方面に至る道路が開かれ、玉川上水を渡る地点に架けられたのが桜橋である。

その正面に東京都水道局境浄水場の正門がある。

明治31年(1898)に国木田独歩が書いた『武蔵野』で一躍有名になった桜橋の北詰めには、『武蔵野』第6章冒頭の部分
「今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の…(中略)…北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある」 と刻まれた『国木田独歩文学碑』が建てられている。

柳田國男 野田宇太郎 丹羽文雄らが世話人になって昭和32年(1957)10月、独歩の50年忌
を機会に建立された。

『武蔵野』には書かれてないが、独歩の日記『欺かざるの記』によると、桜橋を共に訪ねた相手は後に結婚する佐々城信子で、桜橋付近の林で熱い思いを打ち明けたと記されている。

現在もその林は土地所有者の厚意で『武蔵野市境山野公園:通称独歩の森』として往時の面影を留め一般にも公開されている。

桜橋上流には独歩に因んだ『独歩橋』、その上流にはかつてこの付近が軟化ウドとも呼ばれるウドの発祥地であったことを記した『独活橋』と『うど碑』も。

桜橋は平成11年(1999)に武蔵野境通りの拡幅にともなって架け替えられイメージは変わってしまったが、親柱は昭和6年以来約70年使われてきた旧橋のものが使われている。

独歩の森で親しまれている
境山野公園
独歩橋の欄干に掲げられて
いる説明板

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