小平市玉川上水を守る会編



四谷大木戸
玉川上水・掘割の終点は、四谷大木戸である。四谷大木戸は、
元和2年(1616)頃設置で、寛政4年(1792)に廃止された。

甲州街道の両側に石垣があったことは、『江戸名所図会』から
も確認でき、明治五年交通の邪魔になるため撤去された。しか
し、大きな木戸があったかどうかは、図会にも書かれておらず、
不確かである。

大木戸は、江戸城の表玄関東海道の高輪と裏玄関四谷大木
戸の2ヵ所にあった。

「四谷大木戸跡」の碑は、新宿区内藤町87の「新宿区四谷区
民センター」脇に玉川上水「水道碑」と並んである。

碑は、玉川上水の石碑を利用したものである。

なお、玉川上水は、四谷大木戸から江戸市内へは地中樋とな
る。四谷大木戸に水番小屋があり、ここで水量が調節された。
台風などで水が増えた時、 余水は近くを流れる渋谷川の支流
に放流された。

玉川上水は、浅間橋から暗渠となるが、水は現在でも四谷大
木戸まで届くようになっている。また、余水の放流口も区民セ
ンター裏にあり、渋谷川と繋がっている。


四谷大木戸の玉川上水掘割
の終点に建つ『水道碑』


四谷大木戸の玉川上水掘割跡
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