小平市玉川上水を守る会編 |
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『山崎家文書』 | |||||
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坂本家10代目織部の時に分家し、文化4年(1807)弥三郎が水番人を任されて以来、明治期、指田家と共に水番人としての役をこなしてきた。 それは囲い込みといって、工事用の資材保管場所であり、且つ下拵え用の作業場でもある。 水番屋の坂本家は「帳場」と呼ばれていた。現在、坂本家文書が一括して、山崎家に所蔵されているのは、当主山崎利策氏の祖母が「帳場」坂本家の出身であったことによる。 |