小平市玉川上水を守る会編



山崎家文書』
山崎家文書複写
(羽村市郷土博物館提供)



多摩川の水を取り入れ、上水の
水路に導く羽村取水所第一水門

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坂本家10代目織部の時に分家し、文化4年(1807)弥三郎が水番人を任されて以来、明治期、指田家と共に水番人としての役をこなしてきた。

文書で最も注視すべき記述は、文政7年(1824)羽村陣屋の隣接地の「細工小屋」設置に関するものである。

それは囲い込みといって、工事用の資材保管場所であり、且つ下拵え用の作業場でもある。

出水による投渡堰や水門が破損した場合、直ちに応急処置ができるよう事前に枠組みや蛇篭の調達を図るのが、「御囲竹木」であり、「御囲石」とは、蛇篭や枠の詰石のこと。外に俵・松明・筵・そだ等を備えおく。

枠や蛇篭等の大型資材は適当な場所がなかったこともあって、野積みによる傷みも激しく、細工小屋設置の必要性に迫られていた事情も背景にあったことと、更に指田氏を中心とする請負人仲間の願望に拠るものである。

水番屋の坂本家は「帳場」と呼ばれていた。現在、坂本家文書が一括して、山崎家に所蔵されているのは、当主山崎利策氏の祖母が「帳場」坂本家の出身であったことによる。