昭和43年(1968)3月5日の朝8時過ぎ、小平市学園西町先の玉川上
水支流の通称「新堀用水」で、男性の水死体があるのを通りがかっ
た中学生が見つけ、学校に届けた。
通報で警察が調べたところ、所持していた名刺から近くに住む防衛
庁航空幕僚監部防衛部長、山口二三空将補(53)で、体全部が水につ
かり、足は玉川上水との間の緑道に向けて仰向けの状態だった。近
くに睡眠薬の空き箱とコーラの空きビンがあり、自宅のカバンの中
から遺書が見つかった事から自殺と断定された。
死亡推定時刻は5日午前零時ごろで、死因はでき死とわかった。
山口空将補は、昭和39年5月から2年間、空幕防衛部でバッジ・シ
ステム(自動警戒管制組織)の整備・導入に中心的役割を果たし、米
国ヒューズ社と伊藤忠商事がこのシステムを受注した時は、バッジ
室の室長だった。
自殺の動機は、防衛部の元部下が同月2日、航空自衛隊の秘密文書
「第3次防衛力整備計画」などをヒューズ社の人間に貸与、閲覧さ
せた自衛隊法違反容疑で逮捕され、その責任を感じてのもの、とみ
られた。
裁判では、機密漏えいだけが焦点となり、注目の業者との間の贈収
賄については、カギをにぎるヒューズ社の関係者がすでに帰国して
いたため、これが捜査の壁となり、不発に終わった。
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