| 小説『玉川兄弟』(杉本苑子著)が、昭和49年(1974)に朝日新聞社から出版されて、玉川庄右衛門、清右衛門という兄弟の名
 前が、一躍全国的に知られるところとなった。
 
 しかし不思議な事に、玉川上水を作ったこの二人について、そ
 の氏や素性など詳しい記録は残されていない。
 玉川上水は、江戸の急激な人口増加によって飲料水が不足したため、徳川4代将軍家綱の承応2年(1653)4月4日、老中松平
 信綱を上水掘普請の総奉行に、関東郡代・伊奈忠治を現場担当
 の上水道奉行に命じ、工事は普請を申し立てた後の「玉川兄弟」
 に当たらせて開始された。
 
 兄弟は『公儀日記』などによれば、承応3年(1654)6月20日(
 『上水記』では承応2年(1653)11月15日)に 多摩川の羽村取水
 堰から四谷大木戸まで43`を掘り抜き、上水を完成させた。
 
 工事の途中、高井戸(現・杉並区)で、幕府から貰った工事費用
 を使い果たしたが、私財を投げ打って江戸まで水を届けた。幕
 府はその労苦を認め、玉川姓を名乗らせ、200石を与えたうえ、
 玉川上水の維持管理をする玉川上水役に任命した。
 また遺徳を偲び昭和33年(1958)、羽村市の羽村公園に玉川兄弟の銅像が建設された。兄弟は上方(関西)から江戸に移り住ん
 だ父のもと生まれ、上方の進んだ土木の技術を学んでいた、と
 か多摩川沿いの農民だったので武蔵野の地理に詳しかった、な
 どその出自は興味が尽きない。
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