小平市玉川上水を守る会編



『玉川上水起元』
『玉川上水起元』の出自となった
普請奉行佐橋長門守への書状を
書いた小嶋文平一族の墓。
地元の人たちからは“小島水車
の墓”と呼ばれている。
(東村山市・正福寺境内)

『玉川上水起元』は東京都中央
図書館所蔵。非公開。



『上水記』の完成後、12年を経た享和3年(1803)に『玉川上水起元』すなわち『玉川上水起元并野火留分水口之訳書』が、普請奉行佐橋長門守から老中松平伊豆守信明に提出された。

この書は、当時八王子千人同心であった小嶋文平の「書状」をもとに、佐橋長門守が幕閣に答申した報告書の形を取っている。

この書の中で、玉川上水開削にあたって2度の失敗があり、松平伊豆守信綱の家臣安松金右衛門が水盛(設計)をし直し、羽村からの工事を成功させたこと、また、この事により、伊豆守は、ご褒美として野火止用水を開削することが出来たこと等が述べられている。

小嶋文平は、野口村(現東村山市)で生まれた千人同心で、名主を兼ねていたというが、名主の方は不確かである。

また、この『玉川上水起元』を元に、『安松金右衛門』を著した三田村鳶魚(江戸文学研究などで著名な考証家)も、千人同心の末裔で、祖先が武田家家臣であったことを誇りとしていた。

目次へ戻る