「よどみなく走っています。先端はすでに拝島を通過。上河原から砂川
村にかかりました」。つづいて、 「ただいま水は、梶野村を通過中…」。
わあああと津波に似た喚声が、このとき上流から寄せてきた。
下へ、下へ、それは波打ちながらうねり、近づき 「水だ水だ、水が来た
ぞう」水勢に巻き立てられてもうもうとあがる砂塵まで、歓喜して駆けま
ろぶ先触れに見える。庄右衛門の全身を戦慄がつらぬいた。この一瞬
の陶酔のために、歯をくいしばった小一年だった。
この一文は、歴史作家の杉本苑子が昭和48年 (1973) の春から約1年
間、新聞小説として連載した『玉川兄弟』の大詰めのくだりである。
現在、中央公論社刊行の『杉本苑子全集』で読むことができる。玉川兄
弟が承応2年(1653)4月、最小は欲得や名声を期待して工事を開始。し
かし苦労を重ねる中、「水に飢えた江戸町民に水を送るのだ」 という純
粋な気持ちに立ち返り、途中工費が不足すると、家屋敷を売ってまで完
成にこぎつける、玉川上水開削の感動物語である。
作者はあとがきで、「玉川上水の工事については、史料らしい史料、事
件らしい事件がなく弱った」 と書いてあるが、宝暦治水を扱った直木賞
受賞(昭和38年)作品『孤愁の岸』の取材などで培った土木技術の記述
がリアルで説得力のある人間ドラマとなっている。
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昭和49年(1974)朝日新聞社
から刊行された『玉川兄弟』 |
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中央公論社刊
『杉本苑子全集』 |
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