小平市玉川上水を守る会編



             『水衛所』

江戸時代、上水が汚染されないよう上水沿い32ヵ所には、「魚を捕ったり、水浴びをしたり、ちり、芥を捨てることや洗い物をすることを禁ずることや、上水道の両側3間は伐木や草刈りをしてはならないこと、また、人馬が通ることを禁ずる」旨の高札が設けられた。

芥留めは水番人のいる羽村と代田橋、そして四谷大木戸に設けられた。羽村からの最初の芥留めが代田橋であったため、代田橋の水番所はゴミの山になったという。

後、砂川村に水番所が設けられた。芥留めにたまったゴミを取り除くのは、水番人の仕事の一つであった。

昭和40年、淀橋浄水場が廃止された時、芥上げや水路監視を行う水衛所は、熊川、砂川、小川、境、久我山、和田堀、代々木(余水吐際)、四谷大木戸にあった。

水衛は水路の下流から上流に向かい、各水衛所間を受け持ち区域として毎月10回以上巡視することになっており、また上水路の各分水口樋口の鍵は、水衛が保管していた。


小川水衛所跡(商大橋付近)

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