小平市玉川上水を守る会編 |
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『玉川泝源日記』 |
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天保13年(1842)、狂歌作家、山田早苗が多摩川をさかのぼって書いた詳細な紀行記録である。永年、存在は確認されながら原本が見つからぬ謎の本、奇本といわれたが、昭和に入って写本が発見された。 山田は青梅生まれ、のち江戸に出て質屋を営んだ。本名は黒田庄左衛門。号は橘樹園。旅行・狂歌好きで著作は150点にのぼる。『玉川泝源日記』の随所に玉川上水が登場する。晩年、70歳の時の作品である。 「四谷の通りをゆきて大木戸の南の傍に、折しも藤の花咲きそめでたければ、立寄りてうちながめけるに、その下に御上水の大樋あり。清らかなに流るるを見るに、すずしげなり」 「玉川御上水の流るる堤を出でて、流れに添いひてゆく程に尾花、女郎花、なほ草花いろいろ哀れにをかしと見わたしつつ、連雀という処に至りて酒売る家に憩ひて、いろいろの花匂へるひまより御上水の流れの見ゆるを、 大君のみたなぞこなる玉川を 花の飾りにおほふ武蔵野 (略)又一里ばかり分けて深大寺領に至る、蕎麦の名所なり」。四谷大木戸、井の頭付近の描写である。山田は多摩川も玉川と書いている。 |