小平市玉川上水を守る会編



『新水路』

淀橋浄水場が明治31年(1898)12月に通水するが、浄水場築造
にあたって、 玉川上水の水を何処か
ら引き入れるかが問題に
なった。

和田堀から四谷大木戸までの従来の水路は、南方に大きく迂
回していて2,800間なのに較べ、代田橋 (和田城)から淀橋に至る
直線路では 2,300間しかない。また、
この間の水面落差が18尺
取れるので、新たに水路を築造することにした。築造水路の
延長2127間、水路は全部築堤上にあり断面は梯形をなし、上
幅27.5
尺、下幅7尺であった。

大正12年9月1日の関東大地震では、羽村取入れ口から淀橋
浄水場に至る延長10里6町のうち、取り入れ口から和田堀内
村に至る延長9里の旧水路は、玉石垣の崩
壊・板柵の破損・
堤防の亀裂等わずかな損傷で、 応急修理により流水に支障は
なかった。

しかし和田堀内村から淀橋浄水場に至る新水路は延長 2,300
間、その約8割は築堤上にあったため、大きな被害を受けた。
2ヵ所で大きく決壊し、また横断亀
裂が約240ヵ所も数えた。

応急修理を施し、通水開始が出来たのは、9月13日であった。


新水路築造工事(明治末期)
堀越正雄著『水道の文化史』より


かつて新宿西口にあった淀橋浄水場


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