小平市玉川上水を守る会編



線香・提灯測量』
玉川上水の測量技術について詳細な原資料はなく、伝説的に夜間の線香・提灯測量が行われたと語られてきた。羽村市郷土博物館にはその風景画が掲げられている。

三田村鳶魚は『安松金右衛門』で、『玉川上水起元』の一節の「昼夜水盛掘割いたし、灯燈の腰に黒く書、目印見当にし、後に金石衛門、平林寺之をさめ、其勤功を永く伝えんとて今も此寺にて彼の合印を灯燈に用いるとなり」を引用したうえで、阿部弘蔵の『玉川上水の工事』の「此ノ水路ノ高低ヲ量ルニハ、専ラ夜ヲモテ業ヲナセリ。

役夫ヲシテ、程近キ所トニハ線香ノ火ヲ把ラセ、程遠キ所ニハ提灯ヲ持タセテ」を加え線香・提灯測量を明記している。杉本苑子も『玉川兄弟』に「日が落ちてから、仕上げの水盛りにとりかかった。枡屋独特の線香測量だ。

昼間のうちにきめておいた地点に、人足を立たせ、ちょうちんなり、蝋燭なり、あかりを遠望して土地の高低、勾配を計るのはなにも庄右衛門1人の考案ではないし、技法ではないけれども・・・」と書いている。

水盛台と呼ばれる竹の中に水を入れた道具を使って水準方向を出し、土地の高低をはかる方法が用いられたのではないかとの説もある。

土木専門家の推測では当時、
土木技術は外国から輸入され、かなりのレベルの測量術は存在したと、線香・提灯測量説を否定する見解が多い。

羽村市郷土博物館に展示されている
玉川上水開削工事の想像図


線香・提灯の灯りを使って夜間に
測量をした様子を映像化したディ
スプレー。羽村市郷土博物館で。

 目次へ戻る