小平市玉川上水を守る会編



指田家文書

指田家文書とは、御用留・日記類を総称していう。

指田家は、指田茂十郎が寛政6年(1794)に、玉川上水羽村水番人の職
に就いて以来、 上水とは切り離しがたい存在であり、文書記事の多くは
上水に関するもので占められている。

文化2年(1805)から明治25年(1892)に亘る現存する22冊の中には、分
水管理についての普請方役所からの指示・命令・連絡、普請方役所へ
の報告書・願書等が記録され、明治元年(1868)の日記には公用と私用
を併記した内容のものもある。

更に羽村に農兵が組織され、指田由清は兵器購入にもタッチしていたこ
とや幕軍が官軍と戦って惨敗した5月21日の飯能戦争、異色記事として
は10月13日に明治天皇が江戸城に居を定めた際、 天皇は神の子孫で
あり、日本国のご主人様であることも載っている。


明治2年(1869)新政府のもと水番人としての地位確保、5月15
日手当て支給。9月には通船の開設出願等、上水管理の記事が
多くなる。明治25年(1892)には前年の青梅鉄道開設出願、青梅
鉄道創立委員長の名により申請。


ともあれ指田家の日記類は、明治維新新政府への水道行政移行
期に際して、またその後の機構変革の経緯を示す貴重な資料で
あり、多摩地方の村落の基盤である産業・交通と多方面に渡り
影響を及ぼしている様子が伺える一級資料である。




安政7年から玉川上水水番役を
務め、通船、青梅鉄道開設など
に寄与した指田由清(茂十郎)
指田由清建碑記念誌より

目次へ戻る