| 近代水道としての淀橋浄水場が明治31年(1898)に通水するが、東京市の発展は目覚しく、明治末期には早くも水道施設の拡
 張が必要になった。大正元年、村山貯水池・境浄水場・和田
 堀浄水池の拡張事業が認可され、境浄水場は大正13年(1924)
 に通水した。
 武蔵野市関前にある境浄水場は、用地面積約21万平方b(約6万3千坪)、施設能力31万5千立方b/日で、東京水道では数少
 ない緩速(砂)濾過の浄水場である。
 境浄水場は村山貯水池から原水を自然流下で引き入れ、浄水を自然流下で和田堀給水所へ送っている。浄水場は玉川上水
 の際にあるが、玉川上水とは直接関係がなく、余水の吐け口
 を、玉川上水に設けている程度である。
 境浄水場南門の玉川上水両サイドに見られる橋梁跡は、境浄水場への引込線跡で、また、浄水場はずれの遊歩道(公園)に見
 られる橋梁跡は戦闘機「隼」や「零戦」を生産した中島飛行機
 (株)への引込線跡である。
 また、境浄水所の反対岸に品川分水 (戸越分水とも言う)の取り入れ口跡がある。
 
 
 
 
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