小平市玉川上水を守る会編



小川分水
小川分水南北水路分岐点
『小川分水』
玉川上水が承応3年(1654)に完成し、翌年、野火止用水が、そして明暦3年
(1657)に小川・砂川・国分寺の分水が開かれた。

小川分水は 明暦2年(1656)、多摩郡岸村(現在の武蔵村山市)の小川九郎
兵衛らによって開発された小川村に給水された分水である。

『上水記』(1791) には、小川村分水と記されており、当初の取り入れ口は小
川橋の下流にあったようで、その後、野火止用水と小川橋の中間に場所替
えになっていることが記されている。

明治2年(1870)、玉川上水に通船が実現したことにより、野火止用水から下
流境橋までの北側にあった 7つの分水口 (野火止分水、小川分水、大沼田
分水、野中分水、鈴木分水、田無分水、関野分水)が統合され、新堀が造ら
れた。今日の小川分水(小平用水ともいう)である。

今日では多くの分水が廃滅しているが、僅かに 田村分水(福生分水)、熊川
分水、拝島分水、柴崎分水、砂川分水、小川分水(小平用水) の6分水に日
糧1000立方bの多摩川の水が、玉川上水を経て流れている。

玉川上水清流復活区間(小平監視所下流)並びに野火止用水と千川上水に
流れている水は下水の再処理水である。

小川分水流域図
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