小平市玉川上水を守る会編



3往還の分岐点に建てられ、天保年間より道しるべとなってきた小川橋供養塔も、現在はフェンスに阻まれて人目につかない。

小川橋北詰より立川市街地方面
を望む。
             『小川橋』
最初の記録は『上水記』の「小川上ノ橋・小川橋とも云う」に
見られ、長さ4間(7.2b)、幅5尺余(1.6b)の板橋であった
と村民明細帳にも記録があり、これは砂川村通り平井山入
並日野領其の外、方々の往還道路であるとのこと。

この道は 小川村開発理由の七継往還の一つであるから考
えても、承応2年 (1653) 玉川上水開通から小川村開発に
着手した明暦2年(1656)までの間に架設されたものである。

その後、大破により享保9年(1724)に架け替えし、天保13年
(1842)石橋に改めた。 それを記念して『石橋供養塔』を同年
6月北詰(左岸)に建て、願主は小川村中、砂川村中とある。

正面(南)には銘があり、右側面(東)、左側面(西)、裏面(北)
と上部には方位を刻み、左は所沢・山口みち、右は江戸みち
と彫り、裏面には石工・引又町・藤治郎と刻銘があり、道標も
兼ねている。

塔の高さ149a、幅35a、厚さ23aの角柱である。現在の橋
は昭和29年(1954)に架け替えたものである。

なお、小川橋北側路面下に小川分水と新堀用水の分岐堰が
ある。




小川分水開渠口(小川橋左岸上流)
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