小平市玉川上水を守る会編




明治初期、玉川上水本流に直接
水汲み場が設けられていた小平・
山家集落(現在の喜平町1丁目)
にかかる山家橋(昭和50年に架設)

山家通りで見かけた菖蒲畑
               『水汲み場

玉川上水流域の村々は上水本流から直接水の利用はできず、分水を介してのみ可能だったが、明治期に入り直接個人で汲み取る水汲場が許可された。

水汲場が公認されたのは、明治3年〜12年(1870〜79)東京府からの交付。水汲場は、船溜を利用していた。羽村をはじめ、11ヵ所が記載されている。

昭和40年(1965)頃まで竹釣瓶・手押ポンプ・井戸の渇水時のもらい水として、昭和29年(1954)の納入証によると、水料金は1円である。昭和43年(1968)当時まで福生町に3ヵ所が存在、昭和44年(1969)個人の認可以降は水料金の徴収が行われなくなった。

上水の左岸に面している山家周辺に16ヵ所の水汲場を設け、直接水を汲んでいた。それが明治3年(1870)新掘用水・新井筋開設に伴い、明治11年(1878)に11ヵ所を埋立、5ヵ所は新井筋から遠いからという理由で存続が認められた。その条件として新たに1円の水賦金が課せられ、負担に耐え兼ね、明治14年(1881)廃止願いを提出した。

現在、両縁の玉石壁面には明治29年(1896)上水の川底が60aも下がったため新井筋が水不足となり、修理した跡がある。

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