小平市玉川上水を守る会編



『三田用水判決』

三田上水は、寛文4年 (1664) 白金御殿に雑用水を供給するために、
玉川上水の水を下北沢から分水して開かれ、 御殿焼失後は三田・芝
・金杉辺りに給水した。

この上水は青山・亀有上水と同じく享保7年(1722)に廃止された。しか
し、 その余水を灌漑用として用いていた品川領の村々の願いにより、
享保10年に、その水路は14ヵ所村の用水路として保存され、「三田用
水」と称した。

明治・大正・昭和を経て、戦後僅かに恵比寿のビール工場が雑用水と
して利用していたが、水路は暗渠となってしまった。

そこで起きたのが 「東京都三田用水慣行水利権等確認請求事件」で
ある。昭和44年に、次のような最高裁判決が出された。

1.農業用慣行水利権は、農地の宅地化に伴い灌漑の用途が全くなく
なった場合、その時点において消滅する。

2.農業用慣行水利権者が、その管理する用水を事実上、雑用、工業
用にも利用していることは、直ちにそれらの目的の水理権の存在を示
すものではない。

昭和50年に流れは止まつた。


京王線笹塚駅近くの分水口周辺
の三田用水




目次へ戻る
三田用水水路跡