小平市玉川上水を守る会編



        『武蔵名勝図会』

『武蔵名勝図会』に描かれて
いる「玉川上水引入口」


『江戸名所図会』に描かれている
「四谷大木戸」

江戸時代後期、多磨郡の名所・旧跡が挿絵入りで纏められた地誌
が、『武蔵名勝図会』全12巻である。著者は八王子千人同心の出
である植田孟縉で、文政6年(1823)、昌平黌に献上されている。

八王子千人同心とは、徳川家康が関東入国にあたり武田の遺臣を
八王子に移して甲斐、武蔵、相模の要衝を守らせたが、関が原の
戦い、大坂の陣などで1組が100名編成で10組までに増大、 「八
王子千人同心」と呼ばれた。豊臣氏が滅亡した後は、在郷武士と
して定着、江戸末期に向けては、学問に打ち込む「文人墨客」者
をも排出した。

幕府が『新編武蔵風土記稿』の編纂を企画した際、植田も組頭と
して地誌の資料収集等に参加、文政9年(1826)に完成させた。

『武蔵名勝図会』は、いわばその時の副産物だった訳だが、植田
が画家で洋学者の渡辺華山から画を習得していた経験から挿絵や
記述などで『新編武蔵風土記稿』とは違う独特の持ち味があると
いわれる。

挿絵の一枚に「玉川上水引入口」があり、その説明に「江戸深川
の町人清右衛門、庄右衛門とて、両人水利の便宜を申上げて、御
普請御用請負人に仰せ付けられ」「水門口より四ッ谷大木戸まで
…里数にて12里19町29間あり。通行橋は74ヶ所、分水口は羽村よ
り江戸までの間に34ヶ所あり」と記されている。植田孟縉は、宝
暦7年(1757)12月誕生、天保14年(1843)12月没、86歳。


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