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 大正8年(1919)11月、麹町区永田小学校(現、千代田区)の児童500名が、13名の教師に引率されて井の頭公園へ遠足。休憩時1児童があやまって
 上水に転落。往時上水の水勢は深く激しかった。
 
 松本は児童を救おうとして着衣のまま跳びこみ殉職。33歳。一方児童の
 方は、途中の草につかまり近くの人に助けられた。この訓導のひたすら
 な行為は、世人の同情と感動をよび、いくつかの新聞が連日その詳報を
 載せた。
 翌8年、殉職地の近くの万助橋下流に 区内の有志の醵金によって殉難の碑が建てられた。碑は高さ2、8b 幅1.5bの根府川石。 現在も碑は井の
 頭公園内に立つ。
 ところで、作家、太宰治は、新婚間もない昭和14年(1939)9月に、甲府からいまの三鷹市下連雀に移り住む。
 
 そして翌年、近くを流れる玉川上水を舞台にした中編小説『乞食学生』
 を発表。その文中で「…この辺でむかし松本訓導という優しい先生が、
 教え子を救おうとして、かえって自分が溺死なされた。川幅は、こんな
 に狭いが、ひどく深く、流れの力も強いという話である。この土地の人
 は、この川を、人喰い川と呼んで、恐怖している」と書いたうえ、事件
 を背景に、この人喰い川で泳いでいた見知らぬ少年との幻想的な会話を
 展開している。
 
 
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