| 寛政期より江戸随一の桜の名所と謳われてきた小金井堤の北側に広がる小金井公園は、都立公園最大級の面積を有している。東西
 約2`、南北約600bに及ぶ敷地は東京府が『紀元2600年(1940)
 記念事業』として定めた緑地の一つだった。
 昭和15年(1940)の秋、当時の関野新田と是政新田の農家は印鑑持参で小金井小学校(現在の小金井市立一小)に呼び出しを受けた。
 
 日中戦争が泥沼化し愛国ムード高まる中で、『防災緑地』の重要
 性を説かれ、計画区域91fに該当する土地の所有者は否応なく強
 制買収に応じざるをえなかった。
 
 同年11月皇居前で行われた式典に使われた『光華殿』はその後、
 『小金井緑地』内に移築され、現在は『江戸東京たてもの園』の
 ビジターセンターに。
 太平洋戦争中は緑地の西部分30fは文部省教学局の国民練成所に。東部分は学生や一般が勤労動員されて畑に整地し、近在農家にも
 畑を貸して食糧増産に励んだ。
 敗戦後、国民練成所は当時の皇太子の学問所に、緑地として買収された土地の43lは農地改革で耕作者たちに払い下げられた。昭
 和24年12月、皇太子の学問所は火災で全焼して移転。
 
 その跡地を翌年から整備して、29年に『小金井緑地』を『都立小
 金井公園』と改称してオープン。都は32年から農地改革で失った
 土地の再買収にかかり、現在約81f。平成5年3月、西北部の一
 角に『江戸東京たてもの園』が開園した。
 
 
 
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