神田上水助水路は、寛文7年(1667)、神田上水の流量不足を 玉川上水からの分水により補うために設けられた水路である。
玉川上水(代々木・正春寺脇)から神田上水(淀橋)までの1.5` で、昔、熊野神社の所では滝となっていて、江戸名所図絵では 「熊野滝」として描かれている。
明治28年(1895)淀橋浄水場の完成に伴い、玉川・神田両上水 が上水としての用途を廃止。 同31年(1898)、淀橋浄水場の原 水の導入を別に築造した新水路によることとしたため、 助水 路は、新水路の余水放流路及び浄水場の排水路として利用さ れることになった。
昭和40年(1965)、新宿新都心計画により、同浄水場が廃止さ れたことで、この排水路も使用廃止され埋め立てられた。
現在は、新宿新都心から落合下水処理場に至る口径3,210_ の下水路となっている。 上部は、ケヤキ公園として開放されて いる。