小平市玉川上水を守る会編



                 悲しい坂
『玉川上水起元』 によれば、玉川上水開削にあたって二度の失敗が
あったという。

最初の失敗は青柳村府中八幡下で、二度目は熊川村の水喰らい土
である。

上水起元には、「八幡下井筋低し水入兼而…云々」と記されている。
即ち八幡下で水が引き入れられなかったと言うのである。
理由は記されてない。

杉本苑子著『玉川兄弟』では、この失敗により伊奈半十郎忠治が責
任を取り切腹するが、これはフィクションである。

伝わるところによれば、初めは府中八幡道、現在の鳩林荘下から掘
り起こし、お滝神社の上から現在の東郷寺を通り、 京王線多磨霊園
駅を経て 神代あたりまで掘削して導水したが、かなしい坂あたりで水
は地中に浸透してしまったと云う。

地元ではこの八幡下金尻 (府中市清水が丘3丁目)にある坂を「悲し
い坂」と言い、祝い事には使わないと言う。

杉本苑子著『玉川兄弟』では「悲しみ坂」となっている。


玉川兄弟が開削に失敗したと伝え
られる『かなしみ坂』とその碑


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