小平市玉川上水を守る会編



           『人喰い川』
昭和初期の喜平橋付近(小平市)
の玉川上水

橋桁の近くまで水が流れている。


人喰い川と恐れられていた
当時の玉川上水

玉川上水が豊かな水をたたえていた時代、周辺住民にとっては
ときに生命を奪う恐怖の対象でもあった。激しい急流で、秒速
2b、もし人が落ちればひとたまりもない。渕は深くえぐれ、
はい上がろうにも何かをつかむ手だてはない。

新聞記事によると、昭和33年からわずか5年間で玉川上水が飲
み込んだ生命は自殺者も含めて90人にのぼっている。

玉川上水のイメージは暗く、東京都では上水の両岸に高い有刺
鉄線をはりめぐらしたが、効果は少なく、沿線住民は一度落ち
たら還ることのない「人喰い川」と呼んでいた。

住民たちからは当時、事故や自殺防止のために玉川上水にフタ
をしてほしいとの陳情が東京都に数多く寄せられている。この
ときの都側の答弁は「玉川上水の全線にフタをすると、小河内
ダムの建設費160億円以上のカネがかかる」 ということで陳情
をすべてつっぱねている。

また、小金井桜の花見が全盛だった頃にも、酒をのんだ見物客
がケンカをはじめ、上水に転落したり、これを見た酔客が救け
に飛び込んで上がってこないなど、花見の季節だけで、10数人
の死者を数えたと新聞記事にある。

玉川上水の通水初期の流水量 (寸坪9.000坪)は、今の流量に直
すと、1日で108万dとの推計がある。


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