小平市玉川上水を守る会編



                『太宰治入水事件』
むらさき橋と周辺の玉川上水木立
(合成写真)


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死後半世紀以上経てもなお、人と作品が色褪せない作家太宰治
(本名・津島修治)。また往々にして玉川上水にからんで登場す
るのが、衝撃的な入水事件である。

すべての文化活動が沈滞していた太平洋戦争中も「もうこうな
ったら、最後までねばって小説を書いて行かなければ、ウソだ
と思った。それはもう理屈ではなかった。百姓の糞意地である」
と創作活動を続けていた太宰が三鷹市下連雀の玉川上水近くで
起居したのは昭和14年9月から。 

一時戦災で疎開していた津軽の生家から引上げてきて以後、心
身を苛むように机にかじりつき、『ヴィヨンの妻』『斜陽』『
人間失格』など話題作を立て続けに発表。朝日新聞に連載予定
の『グッドバイ』を執筆中、昭和23年6月13日から行方不明に。

美知子夫人宛ての遺書や玉川上水べりに遺留品が発見され、愛
人山崎富栄との情死説が濃厚に。

三鷹署が境浄水場からの水を塞き止めて捜索。6日後、1`ほ
ど下流の新橋付近で二人の遺体が発見された。

その日は奇しくも太宰の39歳の誕生日で、翌年から6月19日に
三鷹市の禅林寺で彼を偲ぶつどい『桜桃忌』が営まれている。